第二節 『箋注倭名類聚抄』が示した道


 『倭名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)』という書物をご存知でしょうか。

 『和名類聚抄』『倭名類聚鈔』とも書き、平安時代中頃、源順(みなもとの・したごう)という人が承平5(935)年以前に編纂した辞書で、天文・気象・自然から始まって職業・官庁・地名・疾病・芸術・住居・交通、さらには身近な食料や日用品・動植物までありとあらゆる名詞(=倭名)を集め、読みを萬葉仮名でつけて解説した、日本最古の百科事典です。辞書はこれ以前にも例があるのですが、百科事典的な物はこれが初めてになります。日本古代文学や古代史をやっている人は必ずどこかしらで触れる書物で、恐らくは『和名抄』という略称の方が通りがよいかも知れません。

 今回漢籍を探す手がかりにこれを選んだのは、ひとえにこの『倭名類聚抄』が漢籍によって註釈を大量につけているからです。当時もう既に遣唐使はなく(というよりそもそも唐王朝自体が滅亡していますが)、日本独自の文化の形成を探求するいわゆる「国風文化」の時代になっていましたが、それでも日本よりはるかに進んだ中国の文化の影響は衰えることなく、平安時代いっぱい、こういった形で何かと顔を見せています。これでもし「狐」の項目に漢籍の註釈があれば、それが手がかりになります。

 ただこの『倭名類聚抄』、ちと難物なのが「十巻本」と「二十巻本」の2種類のテキストがあるということです。この両者はまずその関係から問題になっていて、やれ十巻本が先だ、いや後だと今もやかましい論争が続いており、今も結論が出ていません。さらに巻数が十巻も違いますので、内容にも必然的に影響が出て来ており、二十巻本にしかない項目や部門があちこちで発生したり、そこまで行かないまでも十巻本と二十巻本で本文の内容が違うなんてこともあります。

 そんななので正直「狐」を引くのにも身構えたのですが、結果は以下の通りでした。

十巻本(底本:『箋注倭名類聚抄』)
[原文]
狐 考聲切韻云。狐[音胡岐豆禰]。獸名射干也。關中呼爲野干。語訛也。孫面曰。狐能爲妖怪。至百歳化爲女者也。
[訓読文]
狐 『考声切韻』云はく、「狐[音は胡(こ)・岐豆禰(きつね)]は獣の名にして射干(しゃかん)也。関中には呼びて野干(やかん)と為す。語の訛り也」と。孫面曰く、狐は能(よ)く妖怪と為り、百歳に至りて化けて女と為る者也。
二十巻本(底本:元和古活字本)
[原文]
狐 考聲切韻云。狐[音胡和名岐豆禰]。獸名射干也。關中呼爲野干。語訛也。孫面切韻曰。狐能爲妖恠。至百歳化爲女也。
[訓読文]
狐 『考声切韻』云はく、「狐[音は胡(こ)、和名は岐豆禰(きつね)]は獣の名にして射干(しゃかん)也。関中には呼びて野干(やかん)と為す。語の訛り也」と。孫面が『切韻』曰く、狐は能(よ)く妖恠(ようかい)と為り、百歳に至りて化けて女と為る也。
《共通註釈》
関中=中国の伝統的な首都があった長安周辺の地域。
孫面=唐代の音韻学者。「面」の字には本来りっしんべんがつく。以下訓読文以外「孫メン」と表記。

 『倭名類聚抄』にはいくつか写本がありますが、ここでは一番一般的なものの本文を用いました。本当は見られる写本は全部調べたんですが、特に大きな違いもなかったので(苦笑)。なお十巻本の一種に「下総本」という全く違う本文を持つものがありますが、これは後世かなりひどく改竄が行われていることが明らかなため、ここでは採用しませんでした。

 ここでやはり注目すべきは、最後の一文でしょう。簡単に訳せば「孫メン(の『切韻』)が書くところによると、狐は妖怪となることが出来、百歳になると化けて女性になる」ということです。上述した通り、孫メンは唐代の人なので、この時期には既に「狐が女性に化ける」という公式が確立していたということになります。

 では文献名が分かったところで実見を……となるのですが、実は困ったことに孫メンという人もその著書である『切韻』も、実在したことだけは記録類(日本最古の書籍目録『日本国見在書目録』など)でも確認されているのですが、現在ではほとんど伝わらず、まったく手の出しようがないのです。

 「振り出しか……?」と思ってしまいますが、ここで意外な救世主が現れます。十巻本の底本を見てください。通常写本なら「〜本」となっているのが、『箋注倭名類聚抄』という註釈書になっているのが分かるでしょうか。十巻本の写本には京本・京一本・真福寺本・伊勢十巻本などがありますが、いずれも「零本」といって一部しか伝わらない端本です。これを江戸時代中期〜末期の書誌学者・狩谷えき斎(「えき」は木に夜)がまとめ上げ、校訂して註釈をつけたのがこの『箋注倭名類聚抄』なのです。

 狩谷は図書館学・文献学をやると必ず名前が挙がるくらい有名な人で、その仕事はまさに非凡というべきものでした。この『箋注倭名類聚抄』も、一項目でせいぜい二文程度の倭名類聚抄』の各項目にへばりついて、古今和漢のあらゆる書物を駆使して細かい註釈をつけています。もちろん写本をまとめ上げて校訂しているので、校異(写本間で異なる部分)についての註釈もあるのですが、それ以上に古文献からの引用がすさまじいのです。それも当時は知識人にとって漢学は基礎教養なので漢籍の宝庫です。これを見れば、孫メンの『切韻』に直接触れずとも、狩谷が噛み砕いて代わりの文献に導いてくれるのではないか、というわけです。

 ……というわけで、つらつらつらつら書かれている註釈から「孫メン〜」の一文に対応する部分を抜き出すと、次のような記述があるのに気づきます。

『箋注倭名類聚抄』「狐」條註釈より
[原文]
(前略)按。太平御覧引玄中記云。百歳狐爲美女。孫面至百歳化爲女之説。蓋本之。(後略)
[訓読文]
(前略)按ずるに『太平御覧』に『玄中記』を引きて云はく、『百歳にして狐美女と爲る』と。孫面が『百歳に至りて化けて女と爲る』の説、蓋(けだ)し之を本とするか。(後略)

 要するに、狩谷は孫メンの説は『太平御覧』に引かれた文献の説が元ではないか、と考えたわけですね。
 この書物、前後の文脈から見ても和書ではなく漢籍です。これで道筋がようやく中国につながりました。次は、その『太平御覧』に当たってみることにします。

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