鉄 鎚
作/苫澤正樹 

※このSSは、Purple software(パープルソフトウェア)のPCゲーム「はっぴ〜ぶり〜でぃんぐ」及び同ソフトのファンディスク「はぴぶりファンディスク」を基としています。
※両者のねたばれを含みますので、両方とも未プレイの方だけでなく「はぴぶりファンディスク」のみ未プレイの方も充分にご注意ください。
※今回、一部流血描写が存在します。苦手な方はその点を留意なさった上で閲覧されるか、閲覧をお控え下さいませ。またフラッシュ・バックにご注意ください。




その日の夕方。
「まいどはや。桐山はん、お出かけがけ」
買い物に出ようとした皐槻ちゃんに、門の向こうからしわがれた男性の声がかかった。
「あ、横手さん……ええ、ちょっと買い物に。そちらもパトロールですか?」
「ええ、最近ここらも空き巣やらひったくりやら物騒なんが増えてますがいちゃ。それも妙に小賢しゅうなっとりますさかい、私ら警察としてはいじくらしい(腹が立つ)話ちゃね」
皐槻ちゃんの言葉に、今では珍しい丸出しの富山弁で返す。
紺の制服に「富山県警察」と書かれたワッペン、几帳面にかぶった制帽、金属箱のついた自転車。
この何とも昔ながらの「お巡りさん」という格好を貫いているこの人こそ、うちの周辺を管轄する堀川警察署小泉駐在所の横手勲雄さんという警部さんだ。
「警部」というと刑事さんのイメージが強いけど、実際にはこうして重要と見なされた交番や駐在所に配属され、その長を勤めることも少なくないとか。
「なあん、回覧板で町内会の方から通達が行っとるちゃ、じゃまない(大丈夫)とは思いますがやけど……琴芝はんとこは女性だらけですさかいに、充分気つけられ」
「ご心配には及びません、横手さま。この主計(かずえ)ひびきがいる限り、この家には怪しい者は蟻一匹たりとも入れはいたしませんから」
その横手警部の言葉に、皐槻ちゃんの後ろの茂みからばさあっ、と姿を現すひびきさん。
「おわ、いくそった(驚いた)!……なあん、また歩哨ですけ、ひびきはん。意気込みは大したもんがやけど、過剰防衛にならんよう注意され」
「う……」
横手さんの釘差しに、思わず固まるひびきさん。
「特にその張り扇、威力が結構あるようちゃ。殺傷能力があるというところまでは行かんと思うがやけど、使い方にはほんま慎重を期され。使いようで兇器でないもんが兇器になることもあるちゅうことは、経験上知ってますがいちゃに」
「わ、分かりました、重々注意します……」
指を立てて注意する横手さんに、ひびきさんは神妙に張り扇を抱えて申しわけなさそうな顔をする。
「とと、あまり長居しとると、全部回る前に日が暮れてしまうちゃ。ほな、失礼しますちゃ」
そう言って制帽をかぶり直し、きいこきいこと自転車をこぎながら走り去る横手さん。
「いやあ……何と言いますか、あの警部さんには私もかないませんよ」
それを見送りながら、ひびきさんはいつもの張り扇をどこかへしまいこんで困ったように照れ笑いをする。
「人生経験豊富そうなご老人だというのもありますけど、あの富山弁で柔らかく言われると、何だか諭されてるみたいで」
「ああ、あるかもねえ、そういうこと。郷土の言葉って、知らなくても直感的に心に訴えるものがあるから」
「……そういえば高志さんは、アクセントだけ富山弁なんですよねえ」
そう言う皐槻ちゃんに、僕は、
「ああ、これね。うちは父方のおじいちゃんおばあちゃんが方言なんだけど、両親が標準語でね。僕が生まれた頃に同居してたから、両方の影響を受けちゃって。結果的に、アクセントでは富山弁が勝ち、語彙では標準語が勝ったってことになるのかな」
盆の窪をかきながら説明する。
「でも語彙の方でも、言われるまで方言だって知らなかった言葉あるし、全く影響がないわけじゃないけどね」
「ああ、ありましたね。いつだったか、私たちをごちそうしてくれた時に、『みんな、だかせてくれないか』って言って大騒ぎになったのとか」
「あはは……あれなんかまさにそうだったなぁ」
去年の秋口ぐらいの話だけど、総曲輪(そうがわ)の喫茶店で、みんなと一緒にお茶をしたことがあった。
その時、両親からの仕送りが先月から大幅に増えて気が大きくなった僕は、たまにはいいところを見せようとそう言ったのだ。
むろん「だく」は「抱く」ではなく、「おごる」という意味だったんだけど……よりによって僕はこれが富山弁だと知らず、標準語しか知らないみんなの前で使ってしまった。
当然「抱かせてくれ」と取られてしまった上、性的関係を暗示させる言葉とあって、すさまじい騒ぎとなった。
チョコと雪乃は脈絡がないと戸惑うし、皐槻ちゃんとひびきさんは顔を赤くして固まってしまうし、おねーさんはのりのりになるし……。
そして一番ものすごかったのがほのかサン。
「アンタ、公衆の面前で出し抜けに何言い出すのよ!!」
そう叫ぶや真っ赤な顔で平手打ちだ。瞬間沸騰する性格は、うちになじんだ今でも健在というところか。
結局、僕が言い方を変えて「みんなの分も払うから」と言ったところ、方言だったということが理解されたからよかったけど、その後しばらくみんなとものすごく気まずかった。
「うーん、標準語と変に語彙がかぶるとこうなるんだよねえ。本当に『抱きかかえる』方なら『うだく』になるから、絶対に混同されないし」
「まあ、そういう誤解もある程度まではご愛嬌だとは思いますけどね……と、いけない。こっちも行かないと日が暮れちゃいます」
「ああ、そうだね。じゃ、行ってらっしゃい」


小泉町から電車で10分ほど、西町の電停で私は電車を降りました。
「もうすぐ、トラムカードが切れそうですね」
トラムカードはその名の通り地鉄の富山軌道線内のみで通用するプリペイド・カードで、うちでは家族分毎月買い込んでいます。
特にほぼ毎日買い物をする私のカードは使いが激しいので、適宜買って補充していいと言われていますが……やはり2000円もしますから、その辺は財布と相談というところでしょうか。
電車を降りるとそこは道の真ん中なので、右か左に渡るか、スクランブル交叉点を渡るかする必要があります。
いつもは電停の南富山駅寄りにあるスーパーで買い物をするので、右に渡ってしまうのですが、今日はちょっと事情が違います。
今朝、うちで毎日飲んでいるお茶が切れてしまい、中央通りのお茶屋さんまで買いに行かなければいけないのです。
お茶そのものはスーパーでも売っているのですけど、琴芝の家では「バタバタ茶」という変わったお茶を飲む習慣がありまして……。
バタバタ茶は茶葉を強めに醗酵させた「黒茶」というやや酸味の利いたお茶の一種で、元々朝日町や糸魚川市の一部で飲まれていたものが広まったものだそうです。
ただし取り扱っているところとなると少なくて、駅前のおみやげ屋さん以外だと、中央通りの「松翠園」で売られている程度。
そのため、さっそく中央通りへ向かうべく、一気にスクランブル交叉点を渡り始めたのですが……。
(………!?)
交叉点の中ほど、電車の軌道をまたぐあたりで、私は急に嫌な感じをおぼえて後ろを振り向きました。
しかし、そこには古めかしい煉瓦造りの大和百貨店や、コーラの広告看板を兼ねた時計台を望みながらぱらぱらと人が渡っているだけで、何のおかしなところもありません。
私も性格こそおとなしいですが、いっぱしの猫。この手の違和感は気のせいにならず、当たることが多いのですが……おかしいですね。
まあ気にしてもしかたないと、急いで交叉点を渡りきり、地鉄の中央案内所から銀行に沿って中央通りに入ります。
目的地の「松翠園」は、入って数軒目のところにありますから迷うこともありません。
そして、無事にバタバタ茶を手に入れ、元来た道へきびすを返そうとした時でした。
いきなり、ぐいっ、とぶしつけに誰かが肩をつかんだのです。
戸惑いながら振り向くと、そこには見ず知らずの若い男性が立っていました。
「あの……何か?」
出し抜けに人の肩をひっつかむとはただごとではないと、警戒しながら私が訊ねると、男性は、
「その声……!!やはりな」
何かを確信したようにそう言うと、あぜんとしている私に向かって、
「フェンリル、フェンリルじゃないか……!!」
意味不明のことをいやに感慨深く言い出したものです。
「フェンリル……?いえ、私は桐山皐槻といいますが……どなたかとお間違えではないですか?」
いやに気合の入った男性の雰囲気に異常を感じながらも、とりあえず人違いだろうと踏んでそう返してみます。
しかし男性はそれに対し、
「ああ、何てことだ……やはり覚醒していないのか」
思いもつかないことを言い出しました。
「覚醒……?」
「そうさ。前世で俺たちは、『光の戦士』としてともに戦ったはずだ……俺ことスレイプニルと後ろにいる彼女、ヨルムンガンドと君が3人でね」
ここに来て、私はこの人がいわゆる「危ない人」だということに気づきました。
「す、すみません、私、そういうのには興味ありませんので!」
どちらかというと新興宗教の勧誘に対するせりふという感じもしますが、そんなことかまっちゃいられません。
この2人が何者かは知りませんが、ともかく関わり合いになると身に危険が及ぶ、そう直感的に思ったのです。
ところが男性は、
「待ってくれ!!……かわいそうに、覚醒しないまま出会ってしまったから、拒絶反応が大きいんだな」
そう言ってがっちりと腕をつかんだまま放してくれません。
「覚醒も何も、私は桐山皐槻以外の何者でもありません!!昭和59年2月22日、富山県婦負郡八尾町諏訪町出身のただの女性です!!」
「スレイプニル、これは期を待った方がいい。この子、どうやら何かに囚われているみたいだし」
私の叫びを無視して、女性がそう男性に言い出します。
「何だと……?」
「そうなの。この子は今、オーディンやその取り巻きの生まれ変わりに囚われているようよ」
必死にもがく私をよそに、わけの分からない会話を続ける2人。
「何という!許せん……現世においてまで、フェンリルを迫害しているというのか」
1人で憤怒の炎を立ち上らせる男性。
「これはまずやつをどうにかせねばならないようだな……」
そうぶつぶつつぶやく男性に、私は本気で気味が悪くなって来ました。
しかし、左手はつかまれたまま……私の踏ん張りも正直限界で、あと少しもすれば持って行かれてしまうことでしょう。
万事休す、そう思った時です。
すさまじいベルの音が鳴り、自転車が突っ込んで来ました。
「うわっ……!!」
「ひゃあっ!!」
「きゃあっ!!」
三者三様の叫び声が上がる中、その衝撃で男性の手が緩みました。
その瞬間を、私は逃がしませんでした。いつもは憎い暴走自転車なれど、この時ばかりは感謝せざるを得ません。
緩んだ手を思い切り払いのけると、相手が尻もちをつくのも構わずに、一気に西町の電停へ走り出したのです。
中央通りの真ん前に電停があったこと、そしてうまい具合に電車がいてくれたことも幸いでした。
自分でも久しぶりに発揮した猫の走りと跳躍で電車に飛び乗る私に、
「待っていてくれ、必ず助けに行くからな!!」
「ありゃ届いとらんうぇ」
男性の叫び声と、富山弁とおぼしき女性の声が飛んで来ます。
次の瞬間、扉が閉まり、電車は無事に西町の交叉点へ飛び出しました。
私は、突然のことにただただ驚くばかりで、バタバタ茶の包みを胸に抱えたまま、ひたすら小泉町への到着を待つばかりでした。


「高志さま!高志さま!」
久しぶりの休講とあって午睡(ひるね)をむさぼっていた僕の部屋の扉が、すさまじい勢いでたたかれた。
「……ひびきさん!?ど、どうしたの?」
その必死な声に飛び起き、扉を開けると、そこには青い顔をしたひびきさんが立っていた。
「皐槻さまが、怪しげな賊につきまとわれたとかで……」
「えッ」
「ともかく、居間までいらしてください」
ひびきさんに言われるままに居間へ向かうと、そこには既にみんながそろっていた。
その真ん中で硬直していた皐槻ちゃんが、僕を見るなり、
「た……高志さんっ、怖かったです……ッ」
おびえながら足がもつれそうになるのも構わず飛びついて来た。
そしてそのまま不安定な体勢で身をまかせそうになるのを、
「お、落ち着いて……とにかく、何があったのか話してくれないと」
何とか押さえると、彼女は、
「わ、分かりました……」
そう言って身を離し、座ってことの次第を話し始めた。
今にも震えて倒れてしまいそうな状況で一生懸命話す皐槻ちゃんの話に、
「うーん……」
僕は思わず頭を抱えた。
ただし、理解出来ずに頭を抱えたわけではない。相手がどんな輩か理解出来たから頭を抱えたのだ。
「あの、高志さん……この人たちって、一体……」
「皐槻ちゃん、おそらくそいつらは『前世厨』ってやつだ」
このことである。
「ぜんせ、ちゅう……?」
「うん……僕もね、雄太から聞いただけの聞きかじりなんだけどさ」
「ということは、精神関係ですか?」
僕の友人・雄太は、富山でも有数の精神病院の息子で、本人も精神科医・心療内科医を目指している。
まだ大学の方では専門に入るまでは行っていないのだけど、お父さんの仕事の関係上、そういう知識だけは先立ってあるらしい。
「まあ、そういうことになるね……ただ、病気というよりも人格の障害になるかな、この場合」
ちょっと本職の人には申しわけないようなつたない説明だけど、と前置きして、雄太から聞いた話を説明し始める。
「簡単に言うとね、こういう人って『自己愛』の異常があるらしいんだ」
「……自己愛?」
「『ナルシシズム』と片仮名で言った方が早いかな。要は自分が何より好きだ、自分が何より大切だって感情。人間なら誰でもある感情だし、そもそも人間が生まれて最初に持つ感情はこいつだと言っても過言じゃない」
「言われてみれば……分かります」
「人間ってのは、最初こそ自分だけが大切だっていう気持ちだけでやって行ける。だけど他人と交わるようになると、自分だけを大切にするような行動は通用しなくなる。周りの人のことを考えながら、その中で自分を大切にするように成長して行かないと、社会から落伍しちゃうわけ」
「要するに連中は、それが未熟な段階、自分だけが好きで大切、他はどうでもいいってとこで止まってる人たちだってわけ?」
「でもさ、それならいわゆる『ナルシスト』になっちゃわない?自分だけが大切なんでしょ」
と、これはチョコ。まあ確かに、この説明だけ聞けばそうだ。
「そうもいかないんだよねえ……みんなそうなりゃどんだけ楽か、と雄太がぼやいてたくらいだし。ここで忘れちゃいけないのは、何だかんだ言っても本人がどうあれ、人間は他人と関わらなくちゃいけないってことなんだよ。成熟した人なら、自分は自分、相手は相手と区別して動けるけど、この手の自己愛の発達未熟な人たちは、自分が一番かわいいから、たとえ他人であっても自分の延長として考えてしまう。つまり、自分本位で他人を振り回すのにいささかの罪悪感も感じないってことだあね」
「……えーと、おぼろげながら言いたいことは分かるんですが、それと『前世』は何の関係があるんでしょう?」
と、ここでようやく落ち着いたのか、皐槻ちゃんがおずおずと質問して来た。
「雄太曰く、『現実逃避』だそうだよ。さっきも言った通り、他人との関わりを考えながら自分を大切にするようにしないと、社会的に落伍するわけ。でもさ、これが現実の世界じゃなくで想像上の世界だったらどうだい?」
「……なるほど、確かに自分に都合よく世界を創れますもんね」
「そうそう。自分の作った世界の中なら、勇者様でも王様でも神様にでもなれる。それはとても気持ちいいことだよね。普通の人ならただ想像して終わりだけど、自己愛の発達未熟な人の中にはこれを使って、満たされない気持ちを満たそうとする人がいる。そしてさらに、自分の延長である他人まで引きずり込もうとするわけだ。この創造された自分に都合のよい世界が『前世』であり、それに逃げ込んでさらに人にちょっかいを出すのが『前世厨』なんだとさ」
「……はた迷惑な話ねえ。まだナルキッソスみたいに、餓死して水仙の花にでもなってくれる方が人畜無害だけにましだわ」
頭が痛い、とばかりにこめかみを押さえてほのかサンが言う。
「つか、ぶっちゃけた話、ナルキッソスの代わりに餓死しろって感じだけど」
渋面を作ったまま、過激なことを言い出すおねーさん。
普段不真面目そうに見えるおねーさんだけど、こういう社会的・人間的に問題のある輩には極めて手厳しい。
ましてや自分の愛娘ともいうべき娘にちょっかいを出されては、腹も立つだろう。
「……しかし、元ねたは一体何なんだろうな。『前世厨』の中には、何かの漫画やアニメの話を引っ張ってくるやつもいるらしいけど」
「あ、それなんだけどね、北欧神話よ」
僕の言葉に、ほのかサンが答えた。
「北欧神話か……最近、ちょっと名が知れてきたからね」
「そうそう。ただねえ……」
そこでほのかサンは急に苦笑するような顔つきになると、
「話を聞いた感じでは、『えせ北欧神話』って感じだけどね」
こめかみをかきながら説明を始める。
「まず、皐槻ちゃんを迫害しているという『オーディン』だけど、これは主神の名前。主神だから、当然こっち側が善ね」
「まあ、神話ってそういうもんだよねえ」
「で、その2人が名乗った名前と皐槻ちゃんの『前世』とやらの名前だけどね。一応共通点としては、『ロキ』という邪神の血が半分混じった神の子供、というのがあるんだけどね。ただ、『ヨルムンガンド』は蛇の化物、『フェンリル』は狼の化物で、オーディンに嫌われて封印される敵なのに対し、『スレイプニル』はオーディンの愛馬なのよねえ」
あきれたように肩をすくめて言うほのかサン。
「……何だそりゃ、それを連中の言ってることに当てはめると、善悪逆転の上に敵味方ごっちゃじゃないか」
「主人と愛馬が対立するって、『三国志演義』で関羽と赤兎馬(せきとば、関羽の愛馬)が対立するくらい有り得ない構図ですよ」
「しかも全員神とかじゃなくて、蛇だの狼だの馬だの……何だかかっこいいというのとは違うんじゃないかなあ。ボクたちが言うのも何だけど、動物じゃない」
「あうー、あうあうあうー、あうあうあうー、あう」
「『それで「光の戦士」とか、アニメや特撮の見過ぎだとしか思えません』だそうです……同意ですね」
口々に突っ込みを入れるみんなに、ほのかサンは、
「どうせ、ろくに北欧神話を知らない人間が、聞きかじりの知識で名前だけ拝借したってとこでしょ。いずれにせよ、北欧の人や関係者に失礼な茶番ね」
処置なしと言わんばかりに一刀両断した。
「まあ、ともかく、だ」
それを尻目に、僕は皐槻ちゃんに向き直ると、
「中央通りにそういう危ない連中がうろついていることを考えると、皐槻ちゃんはしばらくあっち方面に行くの控えた方がいいね。また追い回されないとも限らないし」
そう言ってとりあえずの対策を告げた。
「でも……もしうちに押しかけて来るようなことがあったら」
「それか……」
皐槻ちゃんが不安そうに言うのに、僕はさっき前世厨どもが言っていたという「助けに行くから」の言葉を思い返した。
「うーん、それに関しては何とも言えないな。連中の中で『囚われている』ことになっているから、そう言っただけかも知れないし」
「そうですか……」
「ともかくうちを知っているという確証がない以上、連中に皐槻ちゃんとの接触の機会を持たせないこと以外にしようがない。もし本当に押しかけて来そうなら、その時に対策を講じよう。今考えても、どうにもならないよ」
「分かりました……」
僕が必死でなだめるのに皐槻ちゃんはそう答えるけれども、どこかまだおびえている。
当然だろう。普通の人間ですら気味悪がろうものを、かつて人間に極度の恐れを抱いていた彼女が恐怖としないわけがない。
(このままどこかへ消え失せて、『季節の変わり目には変なのがいるねえ』と笑い話にしてしまえればいいんだけど……)
僕は唇を噛んだまま、ただそう願うしかなかった。






しかし僕の願いは、はかなくも砕け散ることになった。
翌々日、朝食の食卓にみんながつき、ひびきさんがいつものように朝刊を取りに出た時だ。
すぐにぱたぱたと玄関から駆け戻って来る足音が響いたかと思うと、
「高志さま、不審な書簡と荷物が……」
ひびきさんがそう言って、何も書かれていない分厚い無地の茶封筒を持って来た。
この時間に、まだ郵便は来ていないから、誰かがうちのポストに直接投函したとしか考えられない。
「……嫌な予感がするな」
僕は思わず、そうつぶやいた。
実は皐槻ちゃんへの直接接触があった日の夜から、僕は「前世厨」の連中が押しかけて来る場合――この場合は「押しかけ厨」と呼ぶことになる――のパターンと対策をインターネットであれこれ調べていた。
どうやらこの手の「押しかけ厨」というのは全国で何十件と発生しているようで、その行動パターンも大体分かるし、対策もフローチャートが存在するくらいだ。
それによると、まず押しかけようとする連中は、書簡などで予告をするのだという。
これがそれではないかと踏んだんだけど……果たして、当たった。
今にもはち切れそうな封筒を開くや、中から何重にも重ねられた紙が姿を現わした。
開いてみてまず眼を引いたのが、紫のサインペンで書かれた魔方陣……のようなもの。
「へったくそな魔方陣ねえ……まだ修行に入る前の子供でも、こんな歪んだのは書かないわ」
とはおねーさんの談だ。
それをめくると、見たこともないような文字が螢光ペンで2枚に渡って羅列されている。
一瞬、ルネサンス期の写本に書かれているような古い時代のアルファベットかと思ったけど、どうも違うようだ。
とりあえず飛ばすと、ようやく日本語が現れた。

 親愛なるフェンリルへ
 先日は急に声をかけたりしてすまなかった。
 だけど、分かってほしい。この書が読めているということは、他ならぬお前が「光の戦士」だからだ。このインクは俺たち「光の戦士」にしか読めないのだ。
 先につけたヴォイニッチ手稿も手に取ってみてほしい。普通の人間には読めないが、お前なら読めるはずだ。
 絶対に、絶対に助けに行く。だから待っていてくれ。
 スレイプニル&ヨルムンガンド

 追伸
 この書をオーディンに見られてはならない。きっとやつは、闇の力をもって君を拷問にかかるだろう。
 読んだら焼き捨ててしまえ。

螢光ペンで、しかも子供が書いたのではないかと思うような下手くそな字で紙数枚に渡って書き連ねた言葉は、この書簡の差出人が他ならぬ先日の前世厨であることを示していた。
そのことを察したのか、皐槻ちゃんは半分硬直したまま、書簡を見つめている。
「滅茶苦茶ね……ヴォイニッチ手稿って、有名な解読不能文書よ?研究者が束になって読めないものが、どうして皐槻ちゃんに読めるってのよ。というより、これと北欧神話とじゃ全然関係も何もないじゃないの」
心底あきれたようにほのかサンが言う。
「大体、そこらの文房具屋で売ってるような螢光ペンが『光の戦士』にしか読めないですって……笑わせる。茶番もいいとこだわ」
そう言って書簡を破り捨てようとするほのかサンの手を、僕は大あわてで止めた。
「待った、ほのかサン!こいつは押しかけの予告だ。証拠として取っておかないと、警察に相談出来なくなる」
「うっ……それも、そうね」
「それとひびきさん、荷物があったって言ったね?一緒に、持って来なかったの?」
ほのかサンが書簡を手許に置いたのを見届けてから、僕はひびきさんに水を向けた。
すると、ひびきさんは、
「え、ええ……玄関まで持って来たは来たのですが……」
珍しく戸惑ったような顔つきになり、一同の顔をしばらく見回した後、
「……においが、ちょっと」
やっと、それだけ言った。
「においだって……?どんな?」
「このですね……血のにおいがするんです。とにかく、みなさまの前で開封するのははばかられるのではないかと……」
冷静な彼女に珍しく、わたわたと言うひびきさんに、
「……分かった。とりあえず、僕が見よう」
「私も行くわ。血なんて朝からみんなで見るもんじゃないし」
僕がそう言ったのに続いて、おねーさんがそう言い出した。
みんなにいいと言うまで来ないように言い残すと、僕たちは廊下に出た。
果たして、玄関先には段ボールの小さな箱が置いてあった。
化学薬品をかぐ要領であおいでかいでみると、確かに血のにおいがする。
何が入っているのかさすがに怖くなり、恐る恐る持って来たカッターで箱を開封する。
しかし、開封してみて僕は首をかしげた。
「………?」
箱の中には、ワインの小瓶とそれを包む紙が入っているだけで、血のにおいがしそうなものなんてなかったからだ。
触ろうとする僕を制し、おねーさんがどこから取り出したか手袋をはめて瓶を手に取る。
そしてラベルを見たとたん厳しい顔になると、蓋を開けて中身をかいだ。
「やっぱり……!」
確信したように言って蓋を閉めるおねーさん。
「やっぱりって……もしかして」
「そのもしかして、よ。この中身はワインじゃないわ、血よ」
「………!」
「ラベルを見た時、シャンペンの銘柄だったからおかしいと思ったら……生の血とはね」
あわてて紙の方を引きずり出し、しわを伸ばして見てみると、
「オーディン呪ワレヨ」
の文字が、延々と5枚ほどの紙にこれもまた血でびっしりと書かれている。
恐らくこの箱は、連中が皐槻ちゃんを捕囚していると言っている「オーディン」を呪うための呪物か何かなのだろう。
3人そろって、今までおよそしたこともないようなものすごい顔つきで箱を閉じる。
「ごめん、ひびき。ごみ袋でいいから、何か密封出来る袋を」
ひびきさんがどこからともなく半透明のごみ袋を取り出すと、おねーさんは穢らわしいものを触るような顔つきで箱を袋に封じ込める。
すかさず、僕が玄関を開け放ち、玄関の空間と自分たちに消臭スプレーを吹きつける。
とっさにそれを思い立つほど、生の血の衝撃というのはものすごかった。
後ろを振り返ると、不安そうに食堂からみんなが顔を出していた。
「高志さん……一体、何だったんですか?」
「とんでもないよ……血だ。何の血かは分からないが、とにかく血を送って来たんだよ」
この説明に、全員の顔が一気に歪んだのは言うまでもない。
「た、高志さん……これ、一体どうすれば……」
皐槻ちゃんが泣きそうな声で言うのに、僕は歯をぎりりと軋ませると、
「警察に相談しよう。どのみちこの辺管轄してる横手さんは、僕らと知り合いだし……あの性格だから親身になってくれるだろう」
歯のすき間から絞り出すように言った。
「ともかく、みんなは朝ご飯を食べてしまいな。警察へは全員は行けないから……被害者である皐槻ちゃんに、付き添いで僕とおねーさん。この3人で行って来るよ」


「世の中には、とんでもないだら(馬鹿)がおったもんちゃ……」
僕たちの話を聞いた横手さんは、あきれ半分、驚き半分という感じの声でそう答えた。
あれから件の書簡と荷物を持って、横手さんのいる小泉駐在所へ相談に行ったところ、案の定横手さんは懇切丁寧に話を聞いてくれた。
こういう被害に遭っている人の中には、警察に相談しても相手にされずほぞを噛む人も多いというから、正直ありがたい。
横手さん曰く、
「警察は『民事不介入』が原則ちゃ。ところがそれを楯に住民があじこと(心配事)を相談しに来られるを形式的に門前払いこくだらが、最近えらく増えとるちゃ。そんなことちゃあ、何で交番におるのか分からんちゃ。おってもおらんでも同じちゃあ」
とのことで、後輩たちにも面倒くさがらず相談に乗るように指導をしているとか。
それはともかく……。
「えらい目に遭われたちゃ……桐山はん、怖かったがやろ?」
「ええ……でも、高志さんやほのかさんが、いろいろと不可解な部分を説明してくれたので、少し怖くなくなりました」
「孫子の兵法でもないがやけど、相手を知ればそれなりに安心も出来るもんがいちゃ」
そう言うと、横手さんは机の上に置かれた例の箱に眼を向けた。
「しかし……けったくそわるい(気持ち悪い)もんを送りつけて来たもんがいちゃ。生の血なんぞ、医療現場以外じゃやんちゃくらしい(汚らしい)代物ちゃ」
そう言って顔を歪めながら、箱を素早く袋の中にしまい込む。
いろいろ一般人にはきついものを職業柄見慣れているとはいえ、気持ち悪いものは気持ち悪いということだろう。
「さて、事情が一通り分かったところで、少しばかりその連中について訊いてもいいですけ、桐山はん」
「はい」
「憶えている範囲で構いませんちゃ、相手の面相、服装などについて教えてくたはれ」
その言葉にこくりとうなずくと、皐槻ちゃんは記憶をたどりながら連中の顔つきや服について答えて行く。
「ふんふん……男の方は、中肉中背で顔はやややせぎす、身長は琴芝はんと大体同じくらい、と。琴芝はん、いくつですけ」
「確か、172センチだったと思うんですが」
「どうも。そいなら170センチ内外でいいですちゃ。服装は……ごく普通のジャンパーにジーンズ姿と」
「そうです。ほとんど服装の方では特徴らしい特徴はなくて」
「で、女がやや肥り気味、身長は150センチ後半くらい。きっつい桃色の服が印象的だった……と」
「そうですね。こう言うのも何ですが、全然似合っていませんでした」
そこまでメモし終わると、横手さんは、
「他に、何か気づいたことはありませんけ」
ボールペンのペン先の滓をちり紙でふきながら訊ねる。
「特には……あッ」
その言葉に首をひねった皐槻ちゃんが、急に何かを思い出したように叫んだ。
「どないされたけ?」
「女の方ですが、もしかすると県内の人かも知れません。しゃべり方が無理して標準語使ってる感じでしたし、逃げる私の後ろから、恐らく富山弁だと思うんですが、『ありゃ届いとらんうぇ』とか言ってましたから」
そう言う皐槻ちゃんに、横手さんは一瞬眉を寄せ、身を乗り出して来た。
「『うぇ』……?桐山はん、それ確かですけ?」
「え、ええ」
そしてあごに手をやると、
「……呉西(ごさい)の者ちゃな」
つぶやくように言った。
「え、そんなのが分かるんですか?」
「なあん、分かりますちゃ。富山弁は『ちゃあちゃあ弁』と言われますがやけど、実際には『ちゃ』を使わんところもありますがいちゃ。そのうち『うぇ』は呉西独特の語尾ですちゃ」
富山県は富山市西郊の呉羽山を境として、富山市を中心とする東側の「呉東」と、高岡市を中心とする西側の「呉西」に分かれる。
この両者は県内でも細かな文化の違いがあり、言葉も微妙に違ったりする。
「まあ、呉西言葉を使っとるから即呉西に住んどるとは限らんがやけど……とりあえず、高岡や新湊、呉西地区の警察署に被害が届けられていないかどうか訊いてみますちゃ。桐山はん以外の人間に手を出しとる可能性もないとは言い切れませんさかい」
そう言うと、「呉西地区中心に照会」とメモに書き込む。
「それで……どうすればいいでしょうか?」
「なあん……こないな精神的に打撃を与えるような文書を投函したり、汚物に等しいものを送りつけたり、さらに押しかけると予告するのは充分に犯罪ですちゃ。しかし、まだ今の段階では立件は出来ませんがやね」
「それはまあ、そうですよね」
「その代わりと言っては何ですがやけど……うちの駐在所に詰めとる部下と一緒に、重点的に琴芝はんの家周辺を警戒しますちゃ」
「そうですか……ありがとうございます」
「いやいや、当然のことですちゃ。ですが、琴芝はんや桐山はん、またその他の人たちも自衛せられ。相手はいつ来るとも書いておらんですちゃ」
「それについては、僕の方でいろいろ調べていましてね。こういう押しかけっていろいろなところであるそうで、既に対策法が確立しているみたいなので」
「はあ……こないなやくちゃもない(とんでもない)ことが、全国で起こっとるてことですけ。ほんま、今の若い連中の考えることは分からんちゃあ……」
嫌な世の中になったもんがいちゃ、と横手さんがつぶやき、メモを閉じる。
かくして、琴芝家前代未聞の闘いの火蓋が、切って落とされたのだった。






それから数日、琴芝家では連中の襲撃に備えて厳戒態勢が布かれることになった。
その前哨として、まず近所の人にここ数日中に騒がしくなるかも知れない、もしひどいようなら警察に届けてもいいが外には出たりしないでほしい、と説明して回った。
一部の人には横手さんの方から話が回っていたようで、それとなく見張る、と言ってくれた人もいた。
そして救援人員の確保。といっても、みんな身寄りがないので、この場合は雄太だけになる。
電話をして事情を話すと、雄太は、
「おい……まじかよ。まさか俺の身の回りで、押しかけ厨が発生するとはな」
そう言って絶句すると、
「よっしゃ、分かった。この奈川雄太、女性が無道な目に遭っていると聞いて黙っていられるたまじゃねえ。みんながよければ、今日にでも行かせてもらうぜ」
救援を引き受けてくれた。
みんなも非常時ではやむなしと認めてくれ、雄太はその晩から僕の部屋に泊まり込んで一緒に対策を練ることになった。
このような根回しが終わったところで、今度は僕らの方の自衛だ。
直接被害者の皐槻ちゃんはもちろんのこと、この家の全員を原則「外出禁止」とすることにした。
連中はこの家の場所を知っているくらいだから、恐らくどんな住人がいるかも全て把握されていると考えた方がいい。
それを考えると、直接対面しなかった子たちでも充分に被害に遭う可能性はあるのだ。
もっともひびきさんは、普段歩哨をしているだけに、
「私だけでも、監視担当ということで外出を許していただけないでしょうか……この家を護るのが、私の役目ですし」
そう言って監視・警戒を条件に禁足処分を解いてくれるよう懇願した。
「ひびきさん、気持ちはよく分かるしうれしいんだけどさ……相手は何をやって来るか分からない連中なんだよ?それに、この手の押しかけが実行の際に仲間を連れて来るなんてこともあるんだ。いくら君がうちでは腕の立つ方だと言っても、そんな予想のつかない状況や多勢に無勢に追い込まれて、無事に済むとは思えない」
「う……」
「その通りよ、ひびき。勇気を持って敵に立ち向かおうとする気概は大したものだけど、匹夫の勇になってはしょうがないわ」
おねーさんにもそう言われ、ようやくひびきさんは禁足に同意してくれた。
「勘違いしないでほしいが、こういう事件で被害者側が最終目的とすべきは、あくまで『退散させること』であって『やっつける』ことじゃないからね。つまり、あくまで守りに徹するのが正しい。そういう意味では、いかなる形でも相手との接触をまねくような行動は避けるべき、ってことだな」
雄太がそう要点をまとめるのに、ひびきさんは、
「……となると、この戦闘配置図は無駄でしたかね」
懐から申しわけなさそうに一枚の紙を取り出した。
「せ、戦闘配置図って……戦う気満々だったのか」
あくまで押っ取り刀なひびきさんに、雄太が頭を抱える。
「いや、突入された時を考えると、まんざら無駄でもないんじゃないか?」
「まあな……理想としては、そういう状態になっちゃいけないんだが」
僕のフォローに雄太はそう言うと、これはあくまでそういう状況になった時に、とひびきさんに念を押した。
そして、人間の方の自衛が終わったところで、今度は家の自衛に入る。
まず雨戸は全部閉める。家の中がえらく暗くなるけど、これはもうしかたない。
「開かずの間」である応接室も、外側から雨戸を閉めておいた。
雨戸のない窓には、重い家具などを立ててふさぐことにする。
「ふう……これで、侵入路は大体ふさげただろうな」
「全く、何が悲しくて現代の住宅地で籠城戦せにゃならんのか……」
「ほんとだな……ところで、高志さ」
「何?」
「お前のところの住人、何だか増えてないか?大学生風の女性と、さっき戦闘配置図なんか書いてたおかっぱの子」
あ、そうか。雄太は、おねーさんとひびきさんを知らないんだっけか。
「主計さんっていって、去年うちに入った人たちなんだ。知り合いでさ、性格正反対だけど姉妹だよ」
一応、外部向けの姉妹設定で紹介しておく。
と、その時だ。
「あうーっ!」
下から雪乃が、厳しい顔つきで階段を駆け上がって来た。
手には、分厚い封筒と1枚の魚の模様が入った紙。紙の方は、皐槻ちゃんがいない時のための雪乃用筆談用紙だ。
「なになに、『このような書簡が、いつの間にか入っていました』か」
「高志、こりゃあ……」
「そうだね、恐らく皐槻ちゃんに連絡(つなぎ)をつけて来たんだろう。恐らくは第二の襲撃予告だ」
僕はその場で開いたものか逡巡したが、すぐに、
「お巡りさんに来てもらって、立ち会いの許開封しよう。のちのち証拠になる以上、独行はまずい」
そう判断し、小泉駐在所に電話した。
ほどなくして、横手さんが玄関に姿を見せた。
「第二の予告が来たとか。よう知らせてくらはった、立ち会いしますちゃ」
そう言う横手さんを居間に通し、あらかじめ集めておいてみんなと一緒に書簡を開封する。
中身は、先日のものとさして変わりはない。魔方陣も、解読不明文書のヴォイニッチ手稿もついて来た。
変わったところは、文体が念押し調になったことと、何より、
「次の安息日に助けに行く」
明確な襲撃日時が書かれていたことだった。
「安息日……キリスト教の言い方やったけ。日曜日のことと解釈して大丈夫がけ?」
「ええ……恐らく間違いはないかと」
「と、なると……明後日か」
壁の暦を見ながらそう言う横手さんに、みんなの顔が一斉に険しくなる。
そのみんなの顔を見て、横手さんは眉間のしわを深くする。
「まいりました、こないに近いとは思いませんでしたちゃ。しかも……」
「しかも?」
「相手は2人だけとは、限りませんちゃ。仲間がおるらしいことが分かりましたちゃ」
この横手さんの発言に、一同が色めき立った。
「どうしてそんなことが……?」
「先日、桐山はんから聞いた『女の方が呉西者くさい』つう話から、早速被害がないかどうか照会しておりましたちゃ。その答えが今さっき一斉に返って来ましたがやけど、その中で同じような服装の女と男が、高岡の片原町で旅行者相手に同じようなことしよったとの記録が残っておりましたがいちゃ。その人数が、女1人に男3人。これが同一人物なら、4人ないしは5人がかりで押しかけて来るつうこともありますちゃ」
「………」
この言葉に、僕らは押し黙ってしまった。
あんな「前世」だの何だのと言って押しかけをしようという連中が、まだいるというのか……。
「……ともかく、今日からさらに人を増やして巡回しますちゃ。それしかもう、打つ手もなく……情けない話ですちゃ」
「いえ、本当に警戒していただけるだけでも、僕らとしては少しは安心も出来ますから」
申しわけなさそうにうなだれる横手さんを、僕はそう言って慰める。
そして玄関で、
「もしかすると琴芝はんが調べてくらはったかも知れませんが、押しかけて来ても扉は開けたらいけませんちゃ。とにかく刺激せずに、追い返す方向に持って行かれ。証拠として、会話の録音も忘れずに……。もし強硬手段に出て侵入された場合は、駐在所でなく110番したってくたはれ」
最後にそう言って注意をして締めると、ゆっくりと頭を下げて横手さんは巡回に戻って行った。
「明後日、ですか……」
扉が閉まるのを見届ける僕の後ろから、皐槻ちゃんの声がかかる。
「皐槻ちゃん……」
僕は、そこで改めて彼女の顔つきを見た。
人間恐怖症だった彼女にとって、この奇妙奇天烈な事件の核となってしまったことが、どれだけ重荷になっていることか……。
そう思って恐る恐る見た僕の眼に写った皐槻ちゃんの表情は、意外なものだった。
寝不足で、精神的な疲れが顔に出ているのは、予想通りである。
だけど、一つだけ決定的に予想外のことがあった。
(眼つきがしっかりしている……)
このことである。
普段の彼女なら、恐らくこんなことに巻き込まれた時点で精神的にまいってしまい、おびえてしまってにっちもさっちも行かなくなってもおかしくないはずだ。
だが、今の皐槻ちゃんにはそんな様子は見受けられない。
おかしな言い方だが、「明鏡止水」とでも言うべきだろうか。そんな言葉すら思い浮かぶほど、冷静な眼だった。
「うまいこと警察の網にかかって未然に済めばいいですが……その確率は低いでしょうね。今回の予告状投函も、結局警察は死角を衝かれたようなものでしょう」
そういえば忘れていたが、横手さんたちが巡回しているはずなのに、連中は書簡を投函して行ったのだ。
警察に過度の期待を置かない皐槻ちゃんの態度は、それを考えると説得力があった。
「戦いに、なるでしょうか」
「分からないけれど、可能性はあまりに高いとしか言えない……」
僕が控えめに言うのに、皐槻ちゃんは、
「もしそうなったら……戦いましょう。戦って、戦い抜きましょう」
一歩踏み出すと自分に言い聞かせるかのようにそう言った。
「私たちは家族なんです。そこを侵す者を、何で許しておけましょう……絶対に、戦って勝ってやりましょう」
そう言うと、彼女は僕の手をぎゅっと握りしめ、真摯な眸を向けて来る。
「………」
その視線に打たれ、僕はそれ以上何も言うことが出来なかった。


予告の日までの間、僕らは籠城状態を続けながら、僕の部屋に設けた本営に集まって、対応の仕方を確認し合っていた。
何度も言う通り、何をしてくるか予想だにつかない連中なのだ。わずかなミスが、こちら側に大きな被害としてはね返って来る可能性が高い。
それに相手は、もはや最初からうちに突入する気満々でいるのだから、余計に油断がならない。
僕らは、連中を撤退させるための対応を打ち合わせるとともに、連中が突入してきた時を想定し、先日ひびきさんが私的に書いていた戦闘配置図を改良して9人の配置を定めた。
そして、証拠を取るための録音環境の整備も行った。
これに関しては、僕と雄太がICレコーダーを所持し、さらに1階と2階の厠へテープレコーダーを置いて小型マイクを接続、扉に張りつけることにした。
当初はICレコーダーだけのつもりだったけど、
「やるんなら、徹底的にやっちまえ。ほれ、小型マイク……感度がものすごくいいやつだから、どんな環境でも使えるぜ」
雄太がそう言って取り出したピンマイク――あとで聞いたところによるとお父さんのお下がりらしい――と、うちにあった2台のテープレコーダーを使って、実に計4台の録音機が回されることになった。
――そして、日曜日。
襲撃予告の日が、ついに来てしまった。
襲撃されそうな時間の当たりがつけばこちらもやりやすいのだけど、
「大抵は夜とか眼につかない時間帯なんだが、何せ常識が通用しない連中だからな……」
とは雄太の弁だ。
そんなわけでやむなく猛スピードで朝ご飯を平らげ、全員所定の位置に着く。
まず、9人を1階と2階に分け、1階には僕・雄太・ひびきさん・おねーさんと、戦闘能力がそれなりにある4人が駐屯することになった。
一方、2階は残りのチョコ・ほのかサン・雪乃。3人には、連中を2階へ上がらせて被害を広げないためのバリケード構築と死守を頼んだ。
そして直接被害者の皐槻ちゃんだけど……彼女は、あえて1階組となった。
本来なら2階の奥の部屋に閉じこもってもらうのが一番かも知れないが、もしそこまで上がり込まれてしまったら袋の鼠となってしまう。
それに、古今東西囚われの対象が最上階の奥の部屋にいるのは定石だ。その定石を踏んでしまうことになる点でも逆に危険だろう。
そのため、逆に1階にいてもらい、本格的に危ない時には外へ脱出してもらうのだ。
もっともこの配置には、
「私も逃げずに戦います」
あえて前線を希望した彼女の気魄に根負けした部分もある。
「お母さん……どうか、私を護ってください」
そう言って、亡母・葉槻さんの形見の鈴を首に巻き、覚悟を定めた表情をする彼女の姿を見ていると、その希望を却下するのはあまりにもためらわれた。
さて……。
いつしか時は正午を回り、各人が配置についてから7時間余りが過ぎた。
いつもならあっという間のはずの時間が、重苦しくゆっくりと過ぎてゆく。
そして、時計が3時を差した時だった。
玄関のチャイムが、唐突に鳴った。
――ついに来た!
緊迫感が急激に増す中、皐槻ちゃんが玄関前に立ち、僕が厠のテープレコーダーのスイッチを入れる。上でも、雪乃が同じ作業をしてくれているはずだ。
これでただの宅配便だったら気抜けものだったが、どうやらそうはいかなかったらしい。
「どちらさまですか?」
僕たちに囲まれながら、皐槻ちゃんがそう誰何(すいか)するのに、
「おお、フェンリル!!俺だよ、スレイプニルだよ!!助けに来たんだ!!」
若い男の声が返って来た。
間違いない。皐槻ちゃんを襲ったという前世厨の片割れ、「スレイプニル」だ。
「私はそのような名前ではありませんし、あなたのような方は全く存じません。お帰り下さい」
冷たく突き放すように皐槻ちゃんが言う。このような毅然かつ理路整然とした態度が、何よりも撃退には大切なのだ。
「何ということだ、まだ覚醒していないのか……やはりオーディンか、オーディンの影響か!?」
「全く質問の意味が理解出来ませんので、お答えしかねます。ともかく、お引き取り下さい、迷惑です」
「どういうことなのよ、フェンリル!!せっかくこのヨルムンガンドが、秘儀を用いてあなたを覚醒させてあげようとしたのに」
後ろから、今度は若い女の声が響く。これがもう一人の「ヨルムンガンド」だろう。
「おっしゃっている意味が全く分かりません。それに私は桐山皐槻であって、そのような名であったことは一度たりともありません。お引き取り下さい」
「くそう……オーディンめ、彼女を完全に傀儡(くぐつ)にしてしまっているようだな。やむを得ん、実力で助け出すぞ!!」
悔しげにそう叫ぶ「スレイプニル」の声が、襲撃の合図となった。
「お、おい、これやばいんじゃねえの?」
「やっても構わないが、あと知らないからな」
「スレイプニル」の叫び声に、別の男が2人、ためらうような声を上げる。
どうやら突然の宣戦布告に驚いてしまい、腰が引けているらしい。
「やかましい!!お前たちは、俺たちの言うことを聞けばいいんだ!!」
「分かったよ、くそっ……えいっ!!」
その声とともに、ぐわしゃあん、という音が響き、玄関の扉が揺れる。
どうやら、門がないのをいいことに、玄関の扉に体当たりをかましているらしい。
「……誰か、通報を!!」
そう僕たちに向けて皐槻ちゃんがいう間もなく、ほのかサンが電話をかける声が聞こえて来た。
階段上のバリケードの向こうにいて見ているのだろう、実況のように状況を説明している。
「高志、皐槻ちゃん!!今通報したわ!!ただ、今出払っていてなかなか来られそうにないかも知れないって!!」
「くそう、何て間の悪い……高志、これ扉大丈夫か?」
「ああ、こう見えても結構強いよ。男3人じゃ、歪む程度だろう」
「これで時間かせいで、そのまま警察に現逮されると一番いいんだが……」
そんなことを言いながら、皐槻ちゃんをかばうように廊下を後退し、一番奥までたどり着いた時だ。
――どすがしゃああん!!
予想もしなかった位置から、出し抜けに重いものの落ちる音が聞こえて来た。
「えッ」
そこは、風呂場だった。
「おい、何で風呂場!?窓ふさいだはずだったよな!?」
「ああ……って、ま、まさか、換気扇ぶっ壊したのか!?」
「そんな馬鹿な……」
そう言って風呂場を見に行くと、何と僕の予想した通り、換気扇がぶち壊されて浴槽の中に落ち込み、そこの穴から差し込まれた男の手が風呂場の窓にはめた板を外そうとしていた。
「やべえ!!高志、こりゃ突入されるぞ!!」
「分かってる!!……ほのかサン、ほのかサン!!」
そう言って、携帯電話でほのかサンに呼びかける。
『どうなってるの!?』
「敵侵入寸前!!そっちのバリケードを頼む!!」
『分かったわ!!チョコちゃん、雪乃ちゃん、ここもっと固めて……』
その声とともに電話が切れると同時に、今度はがしゃあんと硝子の砕け散る音がした。
そして、がちゃりと鍵を開いて窓を全開にする音が続く。
その間にもこちらは大急ぎで逃げ口のある玄関側へ逃げ出すが、途中で足がもつれて転んだりして進まない。
何とか立ち直った時には、既に風呂場の向こう側に男の影が見えていた。
「………!!」
反射的に、廊下の奥で皐槻ちゃんを背にして護るように僕ら4人が布陣する。
それを見届けたかのように、風呂場の扉が開き、背中に何か袋に入った棍棒のようなものをかついだ中肉中背の男が現れた。
続いて、皐槻ちゃんが「全く似合っていない」とこき下ろした桃色の服を着た女が、その後ろからこそこそと現れる。
「フェンリル、お前は騙されているんだ……!!さあ、行こう」
「だから私はそんな名前ではありません!!第一、こんな不法侵入を平気でするような人間に誰がついて行きますか!!」
皐槻ちゃんがそう叫ぶと、「スレイプニル」はぎっ、と僕たちを睨みつけ、
「オーディンのしもべどもめ……どこまで彼女を捕らえておけば気が済む。かくなる上は……」
そう言ってポケットから何かを取り出す。
そこに鋼の一閃があったのを見抜いた時、ひびきさんが動いた。
がきいん、とあの素材不明の張り扇で、見事にその刃を受け止めたのだ。
得物は、何と匕首(あいくち)。いわゆる「どす」だ。
「何だこいつは、やくざか!?もう北欧も何もあったもんじゃない!!」
てっきりダガー・ナイフでも出るかと思っていた僕は、思わずそう叫んでしまった。
匕首と張り扇は見事にかみ合い、剣戟で言えば鍔競りの状態となっている。
と、その時だ。
「ヨルムンガンド!!ここは俺が何とかする、上のしもべどもを片づけてくれ!!」
「スレイプニル」が、「ヨルムンガンド」に2階突撃の指示を出した。
「しまった……!!」
僕が青くなって言う間もなく、すぐ頭上の2階から、チョコたちの声と「ヨルムンガンド」がバリケードを何とかしようと苦戦している音が聞こえて来た。
「くそっ、このっ、来るなぁーっ!!」
「あうあうあうーっ!!」
「チョコちゃん、これ積み上げて!!」
こっちでは、まだ鍔競り合いが続いている。
そんな中、急に、
「うわぁっ!!」
ほのかサンの悲鳴が響いた。
「ホノカ!!大丈夫!?」
「あうあうあうーっ!!」
続いてチョコと雪乃が叫ぶ。
どうやら、どれくらいかは分からないがほのかサンが危害を加えられたらしい。
絶望的か、と思われた時、
「……ふざけんじゃ、ないわよーっ!!」
ほのかサンの咆哮にも近い叫び声とともに、どたどたどたどたあん、と階段に振動が響いた。
「ぎゃあっ……」
それとともに、鍔競りをする「スレイプニル」の後ろに、「ヨルムンガンド」と顔にあざを作って膝をつくほのかサンが現れた。
どうやら、顔を殴られたほのかサンが、瞬間沸騰してバリケードを乗り越え、「ヨルムンガンド」ごと階段落ちを実行したらしい。
「ほのかサン!!大丈夫か!!」
「……な、なあに、打撲よ、打撲。この女に殴られた顔の方がよほど痛いわ」
そう言って立ち上がるが、よろよろと数歩歩いたきり膝をついてしまった。
一方、「ヨルムンガンド」の方は衝撃から失神でも起こしたのか、もぞもぞとうごめいた後、荒い息を立てながらのびてしまった。
仲間が完全に倒されたことを知った「スレイプニル」は、急に匕首を引いてひびきさんから離れ、背中の袋から何かを抜き出す。
今度は、何と抜き身の日本刀だった。
これには、さすがに僕たちも驚いた。まさかこんな殺人事件でしか登場しないような得物が出て来るとは夢にも思わなかったからだ。
「このっ、去れ、去れ、去れ!!しもべどもぉおおおっ!!」
「スレイプニル」はそう狂ったような雄叫びを上げると、狭い廊下で日本刀を振り回し始めた。
ひびきさんが張り扇で受け止めようとするが、太刀筋が滅茶苦茶で受け止められない。それどころか、
「きゃあっ!!いっ、痛つつ……」
右手のひじに切っ先が接触し、血を流しながら張り扇を取り落としてしまった。
「ひびき!!」
あわてておねーさんがどこからともなく杖を取り出して刀を受け止めるが、体勢が悪く、
「うわ、きゃっ……」
杖を外れた切っ先がおねーさんの服の胸辺りを切り裂く。
幸い切っ先は薄く皮を裂いた程度だったようだが、場所が場所だけに、おねーさんは立ち上がることが出来ずうずくまってしまった。
強力な兇器の登場で、一気に2人が戦闘不能となったことに、さすがの僕たちも青くなった。
僕が張り扇を、雄太がおねーさんの杖を持って立ち向かうが、相手の立ち位置が有利すぎる上、皐槻ちゃんを護るために一斉攻撃出来ないので、勝負にならない。
そうしているうちに、雄太が刀を受け損ね、指の股を斬られて血を噴いた。
残った僕は、ままよと張り扇で相手に斬りかかるが、その瞬間、膝に激しい痛みを覚えて崩れ落ちた。
膝を触ると、ぬるりとしたものがつく。
「くそっ……よりによって、膝かよっ……」
膝は急所でこそないが、ここを傷つければ人間を戦闘不能に陥らせるには充分だ。
時代小説で見るような光景だけど、まさか自分がその目に遭うとは……。
「くそっ、くそっ……」
立とうとするけれど、立つことが出来ない。
皐槻ちゃんが動いたのは、その時だった。
「おお、フェンリル!!ついに覚醒したのか!!」
そう言って喜ぶ「スレイプニル」の発言を、無視して彼女はゆっくりと進む。
「皐槻ちゃん、駄目だ、そいつは危険だ……!!」
僕が止めるが、彼女は歩みを止めようとしない。
と、皐槻ちゃんと「スレイプニル」の間があと少しに迫った時、
「フェ、フェンリ、ル……?」
急に「スレイプニル」が戸惑ったような声になった。
日本刀が、がしゃりと音を立てて落ちる。
よく分からないが、何か想定外のことがあったらしい。
「お、お前、まだやつの支配に……」
そう言う「スレイプニル」に、皐槻ちゃんはあくまで無言、無表情でずんずんと迫って行く。
迫る皐槻ちゃんと、それにつれて後退する「スレイプニル」。
その画がしばらく続いた後、ついに我慢の糸が切れたのか、
「お、お前、お前なんかフェンリルじゃねえっ!!」
一度懐にしまい込んだ匕首を、いきなり払うように引き抜く。
切っ先が皐槻ちゃんの左手に触れ、血が噴出するが、構わず彼女は迫って行く。
その尋常でない姿に、「スレイプニル」が、
「よ、寄るな、寄るなあーっ!!」
パニックになるのに構わず、皐槻ちゃんは無言で匕首の鎬(しのぎ、棟と刀身の間)を素晴らしい勢いで横ざまに払いのけた。
びしいん、とすさまじい音が響き、匕首が「スレイプニル」の手から抜け、壁にはね返るようにして床に落ちる。
そしてそのまま彼女は、それを拾おうと相手が前かがみになったのを待っていたとばかりに、一気に躰を低めてその懐に飛び込んで行ったものだ。
次の瞬間そこにあったのは、
「むうん……」
鳩尾を皐槻ちゃんの肘鉄にやられ、胃液を口角にたばしらせた「スレイプニル」の姿であった。
「はあっ、はあっ、はあっ……」
ゆっくりと躰を持ち上げ、皐槻ちゃんが立ち上がった時、玄関の方からパトカーのサイレンが響いて来た。
「よかった、警察だ!!誰か、玄関開けて!!」
チャイムが鳴り、警察官がどっと入って来る。
「大丈夫ですかーっ!?」
「奥の人たち、けがの程度はどうけ!?」
どこかで合流したのだろう、横手さんの声も聞こえて来た。
「全員斬られて流血してます!!あ、犯人はそこでのびてる女と、そこの壁際で座り込んでる男です!!」
「よし、分かったちゃ。救急隊が今行きますさかい、待っててくたはれ!!……おい、何やっとるちゃ、逮捕ちゃ」
「はっ、警部!!……15時10分、住居侵入の容疑により現行犯逮捕!!」
がちゃり、と手錠がはめられる音がする。
続いて救急隊の人たちを先導するように横手さんがこちらへ走って来ると、
「こっちもちゃ!!……15時12分、住居侵入、傷害および銃刀法違反の容疑により現行犯逮捕ちゃ!!」
一気にがちゃん、と「スレイプニル」に手錠をはめる。
「警部さん、こちらの被疑者も打撲傷を負っているので、被害者と別の救急車で運びます」
「ああ、そうしてくたはれ……こら、立たんか!!」
横手さんに引きずり起こされ、「スレイプニル」が移動し始めるのと同時に、僕らも救急隊の人たちと一緒に玄関へ動き始めた。






僕らのけがは、それほどひどいものではなかった。
一番軽かったのは、打撲傷のほのかサンと躰より服を斬られたおねーさん。数日か1週間で治るそうだ。
僕や雄太、ひびきさんや皐槻ちゃんは出血の割に傷は深くはなく、全員2針か3針だった。こちらは抜糸も含め1ヶ月くらいだろうという。
ただ、現場保存の観点から、家に戻るのはどうにも難しい状態だった。
しかし自宅がある雄太はともかく、僕らの自宅はあそこだから入るなと言われても困る。
そこでやむなく、電鉄富山駅の上にある富山地鉄ホテルに、捜査終了まで身を置くことになってしまった。
そんな中、警察から翌日事情聴取に来てほしい、との要請があった。
何でも被疑者全員の親に連絡をして呼び寄せた上で、事情聴取を兼ねてこれからどうするかの相談をするとのことだ。
「うーん……やっぱりこうなったか。親がまともならいいんだがなあ」
ラウンジのソファに腰かけた僕は、眉間にしわを寄せながらそう言った。
「……やはり、まともでない場合もあるんですか?」
「ああ、ある。『親厨』といってね、この親にしてこの子あり、を地で行くようなのが結構いるんだよ。これに出食わすと、一気に話の通じないのが増えるからね……」
「はあ。当たらないことを願うしかないですねえ……」
そして、翌日。
僕らは堀川警察署に向かうべく、駅前から電車で南富山駅前に向かった。
不二越上滝線の踏切を越えると、そこが堀川警察署である。
「そちらへお座りください。今回、みなさん全員が立ち会われることを前提に用意しましたが……どうでしょうか」
「大丈夫です。話し合いですから、全員がそろったほうがいいです」
「分かりました。では……」
こうして、被疑者側との話し合いが始まった。
僕らは知らなかったが、今回は件の男女2名以外にも、男が2人逮捕されていた。
これは主犯の男女について来たものの、過激な行動に怖じ気づいて逃げ出したところを、見事巡回中の警察官の網にかかって逮捕されたものだ。
途中で怖じ気づいた、ということからも分かる通り、この2人に関しては本気で参加していたわけではなかった。
何でも「スレイプニル」の方に大きな借りがあり、嫌々ながら行動を共にしていたらしい。
親の方も当然と言うべきかまともな人物で、2人の親両方とも丁重な謝罪と弁償を申し出てくれた。
この2人については、本物の「厨」ではないので再犯もなかろう、ということを踏まえ、示談で手打ちとした。
もちろん示談といっても、内容は極めて厳しい。
弁償させるのはもちろんのこと、本人が以後一切琴芝家・雄太に接触しないことを求め、破れば告訴という念書を交わすというものだ。
当然の報いです、と両方の親はこれを受け、この2人についてはこれで終わった。
問題は主犯格の「スレイプニル」こと森茂光、「ヨルムンガンド」こと渡邉達子の2人だ。
まず渡邉との話し合いになったが、父親が取調室に入るなり渡邉の頬をげんこつで殴り倒した。
そのまま袋だたきにしようとする父親を、母親と警察官がなだめて止め、ようやく話し合いとなったのである。
横手さんが当たりをつけた通り、渡邉は呉西の出身だった。
いい歳をして働かず、親の金で男に貢いでいるようなあばずれで、親たちもたびたび強硬手段に出たものの一向に改善せず、勘当処置まで考えていたという。
それが1週間ほど前にふらりと家から姿を消し、家出人となっていたのが、今ここに被疑者となって縄につながれているわけである。
一応娘を更正しようと必死になったというだけに、この親も非常にまともで、
「いかようにしていただいても構いません」
床に頭をこすりつけんばかりに平身低頭して謝罪した。
当の渡邉は不満顔だったが、父親が半ば張り倒すように土下座させた。
こちらに関しては、到底示談というわけにはいかない。
現在の容疑こそまだ住居侵入罪のみだが、捜査が進めば傷害罪など重い罪が出て来るのは火を見るより明らかだ。
それでなくともうちの家族に精神的・肉体的に危害を加えた人間を、法廷の場に引きずり出さないで済ますほど、僕らもお人好しじゃない。
とりあえず民事裁判とするかどうかは後で判断する、とのみ伝え、あとは警察にまかせて刑事裁判に持ち込むことにした。
さて、最後に残ったのが、主犯の中でも今回一番暴れ回った森である。
岐阜から来たという森の両親が取調室に姿を見せた時、僕は嫌な予感がした。
警察に来たにしては、妙に尊大な雰囲気が漂っている。
(こりゃ、『親厨』のお出ましか……?)
僕が警戒態勢に入ったのは言うまでもない。
みんなも緊張しているのが分かる。昨日のうちに、みんなにも「親厨」の話はしておき、決してうかつにものを言わないように、と注意したからだ。
「うちの茂光が、何やらやらかしたとの話ですがね」
席に着くと、父親の方がやはり尊大な態度そのままの口調で語り始めた。
「こんな大騒ぎをするほどの、けがをしたようには見えませんが……そんな繃帯で済む程度のけがで、こんな警察沙汰にするとはどういうおつもりですかね」
「そうですよ。そんなぴんぴんしているのに警察なんて、冗談じゃありません」
無茶苦茶な論理だ。傷の軽重の問題じゃない、傷を負わせるほどの罪を犯したからこそ捕縛されたのではないか……。
「琴芝さん、とおっしゃいましたね」
「ええ」
「大学はどちらで?」
「呉東大学農学部ですが」
僕が冷静を装いつつありのままに答えると、母親は失笑したような顔つきとなり、
「何だ、さしたる特徴もない私立大学じゃないですか。しかも農学部って……お百姓にでもなるつもりですの?こう言っては何ですが、私、旧帝大の出身でしてね。ぺいぺいの大学生だろうみなさま方とは、格が違いますのよ」
僕やみんなの学歴を公然と侮辱した。
殴り倒してやりたい衝動を抑えながら黙って聞いていると、父親は、
「これに関しては私の方も、まあ同じでね。しかも、今はここで社長をやっているんだよ。本社こそ岐阜だが、北陸じゃ金沢や富山にいくつも営業所があってねえ。この業界じゃちょっとした顔なんですよ。やろうと思えば、あなた方貧乏学生の集団くらい、一気に潰せますよ」
名刺を突きつけ、権力を振りかざして脅しをかけて来た。
ここまでされて、黙っていられるわけがない。僕が、反駁しようと口を開こうとした時だ。
ふと、隣の皐槻ちゃんが、「私がしゃべります」というように僕を制した。
無茶だと思ったが、その有無を言わせない雰囲気に押され、僕は彼女の好きにさせることにした。
「お話は、うかがわせていただきました。よく分かりましたよ、あのような人が育つわけが」
「なっ……?」
「あなた方は、先ほどから学歴がどうの、社会的地位がどうのとおっしゃっていますが……この場においてそれを主張することに、何の意味があるとお思いですか?ここは警察署の取調室、あなた方の息子さんは罪を犯したかどで縛についていて、これからどうするかの話し合いをしようというのですよ。そんな状況で、まず言うことがそれですか。よくよく旧帝大出身、会社の社長、そういった学歴や権力にしがみつく癖がおつきになっているようですね」
「………!?」
皐槻ちゃんの意外な発言に、両親は眼を白黒させるが、彼女は構わず続ける。
「いいですか、あなた方の息子さんは、罪を犯し法で裁かれる存在となっているのです。憲法において人は平等、法の下においてもしかりです。その中でこんなものが、役に立つわけがありません。それでもしがみつこうとするあなた方の態度は、自分がそれに依存して存在している、全くもって人間的に空虚な存在でしかないことを自ら示したことになります。無から有が生まれないように、空から実が生まれるわけもないでしょう。その結果が、今のありさまなのですよ。自分の息子が罪を犯したことも認識せず、謝罪や弁償の義務も果たす姿勢を見せずに、自分の空虚なることをただたださらけ出して自覚がないなど、恥ずかしくないのですか、社会に生きる人間として……」
「………」
「はっきり言います。息子さんにとって、どれだけ現実社会における自分が情けないのか、または嫌なのかは存じません。しかし、その現実を打擲(ちょうちゃく)して妄想の世界に逃げ込み、それで他人を無理矢理傀儡(くぐつ)にして振り回した挙句、兇器まで持ち出して罪を犯すような輩に、少なくともなってしまったわけです」
「………」
「まずあなた方がなすべきことは、この場で息子さんが罪に問われる立場であるということをきちんと認識し、我々被害を受けた者に真摯に謝罪することです。そしてその上で、このような妄想に逃げ込んで帰らなくなるような子供を育ててしまった自分たちに、どれだけの過ちがあるかを見つめ直し、心より反省することです。それがあなた方のためであり、息子さんのためであり、また社会のためです」
「………」
理路整然、冷静にとうとうとしゃべる皐槻ちゃんの言葉に、森の両親は一言もなかった。
その後、ようやく息子の罪を認めた彼らは、民事裁判については後回しにし、とりあえず刑事裁判に持ち込むというこちらの意向を黙って飲んだ。
最初と打って変わって抜け殻のようになって両親と森が出て行くと、僕らの中から誰ともなく拍手が起こった。
「サツキ、すごいよ、かっこよかった……」
「それほどのことではないですよ」
「でもねえ、『学歴厨』に『権力厨』がそろってやって来たのを、あそこまで凹ませるのは大したものだよ」
僕がそう言うと、皐槻ちゃんは、
「それはもう……今回のことについては、私も本気で腹を立てていますから。あれくらいはしないと、腹の虫が収まりません」
淡々とそう言った。
この皐槻ちゃんの言葉に、僕らは息を呑んだ。
皐槻ちゃんといえば、僕ら琴芝の家では一番温厚な性格で、怒り顔なんて見たことがないというくらい怒らない。
それが「本気で怒っている」というのだ。あまりにも静かな態度でありながら。
しかし確かにそれならば、森に肘鉄を食らわす前の彼女の態度と、おびえきった森の姿も納得出来ようものだ。
「普段温厚な人が怒ると、本当に怖いというのはほんとなんだな……」
取調室を後にしながら、僕はそうつぶやいていた。


「見事に咲きましたねえ……」
「そうだね。まさか判決の日に満開になるとは」
あれから3ヶ月。
僕らは、満開の桜が咲く松川べりを安住橋から桜橋へ向けてゆっくりと散歩していた。
被疑者側との話し合いの直後、すぐに警察の捜査が入り、僕らも例の書簡や小包、4ヶ所で録音していたテープなどを証拠として提出した。
一方、森と渡邉は刑事訴訟法の手続きに従い、ただちに身柄を富山地方検察庁へ送致された。
この際の勾留中に2人の罪状には建造物等損壊罪が追加され、さらに両者とも供述で殺意を認めたため傷害罪ではなく殺人未遂が適用されることになった。
この時に渡邉もナイフを持っていたことが判明し、罪状に銃刀法違反が追加された。
また森は兇器が日本刀であったことから、さらに「暴力行為等処罰ニ関スル法律」が加重されて適用され、通常の殺人未遂より重い罪状となった。
とどめとばかりに、皐槻ちゃんが2人をストーカーとして地検へ告訴したため、ストーカー規制法違反が追加された形で富山地方裁判所に起訴されたのである。
この第一審では、やはり侵入の方法が強盗まがいで非常に悪質であったこと、傷を負わせたのみとはいえ明確な殺意があったこと、また森に関しては「暴力行為等処罰ニ関スル法律」が大きく効いて量刑を左右し、両者ともに執行猶予なしの実刑判決となった。
渡邉は親の説得もあって控訴せずにそのまま判決が確定したものの、森は往生際悪く控訴し、控訴審が名古屋高等裁判所金沢支部で開かれることになった。
しかし、しょせんは悪あがき、今日出た判決は、
「本件の控訴を棄却する」
主文がこの一言で終了してしまった。
森はこの棄却判決に顔が空間に張りついたようになってしまい、はたから見るととんでもない馬鹿面のまま理由文を聞いていた。
もっとも馬鹿正直に控訴で刑が軽くなると思っていたのは森だけだったようで、この判決が出た途端、弁護人も「やっぱり」というような表情になっていた。
「あれ、絶対弁護人からも見捨てられてましたねえ。本当に救いようのない人もいたものですよ」
とは、すぐそばで傍聴していた皐槻ちゃんの弁だ。
一応高等裁判所の上に最高裁判所があることはあるけれど、上告はよほどのことがないと出来ないので、この控訴棄却で刑確定となる。
つまり、全てが終わったのだ。
「しかし……よかったのかい、民事の方は示談にしちゃって」
そう、最初民事裁判に関しては保留としてあったが、こちらに関しては最終的に示談とした。
「お金をぶんどったところで、何になるわけでもないですしね。壊したものを弁償してくれればいいんです」
「でもさあ、せっかくだから尻の毛までむしった方がすかっ、とするよ?」
と、これはチョコ。
「品がありませんよ、チョコさん……確かに胸はすくかもしれませんが、民事裁判はとても大変なんですよ?労多くして功少なし、です。それに……」
そう言うと、皐槻ちゃんはくるりと振り返り、
「この『家族』の価値は、お金で値踏みできるようなものじゃありませんから」
しみじみとそう言ってみせる。
「サツキは……かなわないなあ、もう」
苦笑しながらも、チョコはまんざらでもない表情で肩をすくめる。
僕は、再び向き直って隣を歩き始めた皐槻ちゃんを見る。
あの一件があって以来、僕は皐槻ちゃんの対人能力の急速な向上を意識し始めた。
むろんそれは、恐らく随分前から始まっていたことだったんだろう。ただ、僕たちがそれに気づけなかっただけなのだ。
……思えば、最初出会った時の皐槻ちゃんは、人間、なかんずく男性に対する恐怖の塊が歩いているようなものだった。
虚ろで、何らの感情も映さない眸のまま、冷たい雨の中でコンクリ塀を背にじりじりと後じさった後、
「ひどいこと、しませんか?」
そうひどくおびえた声で確認するように問い、にじり寄るように近づいて来た彼女は、今にもくずおれそうなほどに痛々しかった。
まあ、無理もあるまい。母親があんなむごい殺され方をした直後だったんだから。
人間化したものの、さりとてどうにもならず呆然……いかに彼女がパニック状態だったかが、よく分かる。
家に着いてからも、風呂に入れるだけで大がかりなことになり、その後も自発的な言動のほとんど見られない彼女に戸惑うことになった。
1週間かけて心を開いた後も、買い物でこれを買っていいか、あれを買っていいかと訊くなど、非自発的な部分がしばらく後遺症として残ってしまっていた。
さすがにすぐにその領域は脱したとはいえ、彼女にどこか人間恐怖症の陰がつきまとっているのは否めないものがある。
だからこそ、僕たちは皐槻ちゃんが今回の一件で直接的な被害者になったことに恐怖を抱いた。
また過去のトラウマがフラッシュ・バックして、最初の時ほどでないにせよ人間恐怖症に逆戻りしてしまうのではないか、と。
だが、それは全くの思い込みに過ぎなかったことが、実際の襲撃と話し合いとでよく分かった。
皐槻ちゃんが何よりも大事に思う「家族」という存在。
今回の彼女はそれを護ろうとする想いと、それを侵そうとする者への怒りをばねに、驚くような精神の強さを見せた。
そしてついには、僕らの助けを得ながらも、彼女自身の手で不埒者に鉄鎚を食らわしたのだ。
恐らく今の彼女なら、きっと僕なんかが思うよりもさらに強く生きて行けることだろう。
(葉槻さん……あなたの娘さんは、こんなに強くなりましたよ)
僕は振り返ると、皐槻ちゃんの故郷であり葉槻さんの眠る八尾の方を向いて、静かに手を合わせた。
両岸の桜に囲まれる中、電車が桜橋の上を通り過ぎて行く。

<つづく>
(平21・4・19)
[平21・4・21/補訂]
[平21・4・28/再訂]
[平21・5・13/三訂]
[平21・5・18/四訂]
[平22・3・23/五訂]
[平22・11・9/六訂]
[平22・11・11/七訂]
[平23・3・19/八訂]

[あとがき]
 どうもこんにちは、作者の苫澤正樹です。
 「とやまはっぴ〜だいあり〜」第4話「鉄鎚」、いかがだったでしょうか。前回に続き、というよりも、前回よりもシリアスな内容となってしまいましたが……。
 今回、琴芝家を襲った「押しかけ厨」と呼ばれる連中は、実際にさまざまな場所に実在しています。詳しくは検索などでお調べいただくことをお勧めいたしますが、基本は同人誌即売会などでちょっと話をした程度で昵懇面をして、同人誌の奥付の住所などを基にその制作者の許に押しかけ、宿泊させるよう要求したり、合同で同人誌を作ることを強要したりする連中のことです。しかし後に多様化し、今回のように「前世」というオカルトチックなものを持ち出して押しかける「前世厨」の押しかけ、特定作品のキャラクターになりきって接触し押しかける「なりきり厨」の押しかけなど、さまざまなものが存在しています。もし同人音楽を多少ご存知ならば、Project"D"さんの「お兄ちゃんどいて!そいつ殺せない!」と、その基になった話を思い出してください。あれは元ねたが創作であることが判明しているものではありますが、あのような感じでわけの分からないことを言いながらいきなり自宅へ押しかけて来て、乱暴狼藉をはたらくのが「押しかけ厨」というものです。
 このたびこのような話を書くに至ったのは、この話の構想を練っていた頃(もう随分前になりますが)私自身が「押しかけ厨」に多少の興味を持ち、かつて巨大掲示板に存在したスレッドの報告集を読んだことにはじまります。その時、被害者がさまざまな対応を迫られている中で思ったのです。「高志たちなら、どうするだろうか」と。「はっぴ〜ぶり〜でぃんぐ」の世界は、ご存知の通り極めて平穏な世界であり、このようないわゆる「電波」な連中を持ち込むにはふさわしくないのは、分かっているつもりでした。しかし、だからこそ擬似的ではあるものの「家族」として結束している彼らが、「押しかけ厨」を撃退する姿を書いてみたくなりました。そして、対人関係に難を抱え続けていた皐槻ちゃんをあえて直接被害者にすえ、その対応を描くことで、彼女の精神的成長を書いてみたい、とも。このような考えから、この作品は上梓されるに至りました。
 作中の「押しかけ厨」の行動は報告などを読んで私が作った架空のものであり、実体験に基づくものではありません。しかし中には生々しい表現ゆえに気分を悪くされたり、過去の体験がフラッシュ・バックされた方ももしかするといらっしゃるかも知れません。そのようなことがございましたら、心よりお詫び申し上げます。また作中で登場人物が取っている対応や警察・検察・裁判所の判断は、あくまで作劇上のものであり、現実の押しかけにおいて必ずしもこのようにうまく行くとは限らないということを念のため註記しておきます。
 なお作中登場する富山弁は、なるたけ現実のものに近づけるように努力いたしましたが、やはり間違いがあると思われます。こちらにつきましてもお詫び申し上げます。
 それでは、また5話目でお会いいたしましょう。

[追記]
 第2章冒頭の襲撃予告ですが、後から読み返してあまりの場面や小道具の生々しさに、さすがにまずいという判断に至ったため、平成22年11月9日に全面修正をさせていただきました。また同日、冒頭部に注意書きをつけ加えさせていただきました。読者のみなさまをただでさえ引かせかねない題材の話でありながら、公開1年半以上もの間全く気づかず、配慮を欠いたままにいたことを心よりお詫び申し上げます。

「書庫」に戻る


Copyright(C) MasakiTomasawa.