地鉄・越中三郷駅
作/苫澤正樹 

※このSSは、Purple software(パープルソフトウェア)のPCゲーム「はっぴ〜ぶり〜でぃんぐ」及び同ソフトのファンディスク「はぴぶりファンディスク」を基としています。
※両者のねたばれを含みますので、両方とも未プレイの方だけでなく「はぴぶりファンディスク」のみ未プレイの方も充分にご注意ください。




「ほら、魔女!起きてくださいよ!」
そんなひびきの声とともに、私は心地よい眠りから醒まされた。
「ん……あ、おかえり、ひびき」
大あくびをしつつ、枕代わりに寄りかかっていた巨大な雷鳥のぬいぐるみから頭を上げると、そこには、
「『おかえり』じゃないですよ、自分からやると言ってた魔術の練習はどうしたんですか」
いかにも不機嫌そうなひびきの顔があった。
「あー、あれね。一応、やったわよ。だけど……」
「……疲れて寝ちゃったんですか、また?」
おのが主のやることなどお見通し、とばかりに言葉を遮ってせりふをごっそり取るひびきに、私は返す言葉もなく困ったような笑いを浮かべる。
「まったく、本当に魔力を取り戻す気があるんですか?皐槻さまたちの寿命を完全に人間並みまで伸ばす意味でも必要なのに、そんな不真面目では困ります」
いかにも「従者」という感じで説教を始めるひびきに、私は思わず冷汗を流す。
この子の説教、長いのよねぇ……。
そう覚悟してベッドの上で神妙に正座体勢になった時。
「と、まあ、いつもならお説教を垂れるところですが……ちょっと今日は、一応報告が必要なことがあるのでやめにします」
ひびきが、この状態では珍しく急に話題を変えたの。
「報告……?例の薬草、もらえなかったとか?」
実はこの日、ひびきははるばる高志の大学である呉東大学農学部まで、薬草の苗をもらいに行っていた。
何でも県内では農学部の小見さんという教授しか栽培していないそうで、その小見教授の先輩を指導教授に持つ高志の仲介で、特別に苗をもらえることになったの。
そのために、庭の家庭菜園の隅っこをわざわざ掘り返しておいたんだけどねぇ……。
「いや、それは大丈夫でした。研究材料の株分けということで、あまり多くはもらえませんでしたが」
「じゃ、どしたの?」
そう訊くと、ひびきはついと立ち上がって部屋の扉を開き、ひとしきり外を見回してから戻って来た。
私がいぶかしそうな顔をしていると、ひびきは、
「……今から話す話、みなさまには当分オフ・レコでお願いしますよ。特に皐槻さまたちには」
私のそばに寄って来て、そう耳打ちする。
「……何なの?何かあの子たちに聞かれちゃまずいこと?」
その言葉に静かにうなずくと、ひびきは、
「ええ……実は、越中三郷(えっちゅうさんごう)の駅で、高志さまの恋人とおぼしき女性を見かけまして」
……いきなり爆弾発言をしてのけた。


「こ、恋人……って!?」
青天の霹靂というべきひびきの言葉に、私が思わず取り乱しながら返すと、ひびきは、
「あ、その、恋人と決まったわけではないのですけれど……」
予想以上の狼狽ぶりに驚いたのか、ぶんぶんと手を振って確定でないことを示し、ことの次第を話し始めた。
それによると……。
今日、ひびきは大学の最寄り駅である越中三郷駅で高志と待ち合わせをしてから、小見教授のところに出かけた。
農学部のある三郷キャンパスは、大学病院やら牧場やら農場やらを敷地内に抱えていて、とにかく広い。
「初めて行く人だと絶対に迷子になるから、僕が案内するよ」
その高志の申し出に乗ったって寸法ね。
正門から大学病院へ通じる道へ迷い込まないように慎重に足を運んだ2人は、無事に農学部の研究棟にたどり着いた。
ちょうど授業の合間で戻っていた小見教授とも対面し、研究棟の近くにある温室内で頼んでおいた薬草の株分けを受けた。
その後栽培法について一通りの注意を受けた後、たくさんのコピーやプリントを渡され、2人は研究棟を出た。
高志はまだ授業があるし、本来ならここで別れるところだったんでしょうけど、
「せっかくだし、駅までついて行くよ。構内のATMが壊れてて、郵便局までお金下ろしに行かなきゃいけないし」
そう言って薬草の鉢をかつぎ、また駅まで来ることに。
途中、三郷郵便局で金を下ろしたりしながら越中三郷駅まで戻ると、ちょうど11時25分発の急行に間に合う時間。
「ふう……思ったよりも早く着いてよかった。これと30分発逃すと、次は12時過ぎだからねぇ」
「ええ、お昼までに間に合ってよかったです」
そんなことを言いながら改札口横の整理券発行機から整理券を取るひびきに、高志は、
「もう行った方がいいよ、交換で構内踏切ふさがると、走らなきゃいけなくなるから」
そう言って鉢を渡し、改札口の方へひびきを案内する。
「ありがとうございます。向こうのホームですよね?」
「うん、そっち」
ひびきがその言葉通り、構内踏切を渡って向こう側のホームに上ると、果たして構内踏切の警報が鳴り、上りの急行が滑り込んで来た。
そして、荷物が多いからと後部車輛の運転台そばに身を置いた時。
隣に到着した下り列車から、猛スピードで大学生くらいの女性が駅舎の方へ走って行ったかと思うと、そのまま高志に抱きついたんだとか。
「………!?」
いきなりの出来事に、ひびきは眼を白黒させて改札口を凝視したけども、その視界を下り列車が遮る。
そしてそれに呼応して、こちらの列車もブザーとともに扉を閉めて動き出す。
がたん、と動き出した列車から必死に改札口をのぞくと、よく見えないものの高志と件の女性がいちゃついているように見えた。
しかしそれも一瞬で、列車はすぐに構内を飛び出し、越中荏原の駅さして走り出した。
「ふうん……」
ひびきの話を聞いて、私は腕組みをしてうなった。
「確かにそんな風景見せられちゃ、『恋人』っていうあんたの見方もおかしくはないわよねえ」
「ええ……それに」
そう言うと、ひびきは一旦言葉を切り、
「……もし私の推測が本当なら、みなさまのことは、どうなるんですか」
顔をうつむかせて続けた。
「………」
その言葉に、私は考え込んでしまった。
私が人間の姿を与えたあの子たちは、みんな彼に好意を持っている。
高志の方も気づいているのかいないのかは知らないけれど、あの子たちのことは最近家族以上に思ってくれているみたい。
ひびきの話だと、特に皐槻との接近が著しいとかいう話だし。
それに、あの4人に関してはもう一つ大切なことがある。
以前、私は高志に、4人は元動物だから寿命が人間よりも短い可能性がある、いつか確実に来る「別れ」に耐えられるか、と訊いたことがあったのよ。
高志の答えは、清々しいまでの「イエス」。もうそりゃ爽やかなくらいに。
その一切の妥協を許さない答えに、あの人、惣吉さんの曾孫なら間違いはないだろうと思って託しただけのことはあった、と改めて高志を見直したものだったけどねぇ……。
よく考えてみればこれって、綜合的に考えれば4人を最後まで大切にする、ないがしろにはしないと誓約したようなものじゃないの。
解釈のしようによっては、外に恋人を作ること自体4人の好意を袖にすることであって、その誓約を破っていると言えなくもないわよねぇ。
しかしそこまで考えて、私は、
「ねえさ、ひびき。まだ『恋人』って決まったわけじゃないじゃないの。というより、前置きに自分でそう言ってたじゃない」
そうひびきに言った。
「いや、まあ……それは、そうなんですが、あんな熱烈な愛情表現見せられちゃ……」
「そういうけど、あんた列車、それももう発車しそうなのの中から見たんであって、すぐそばで話聞いたわけじゃないんでしょ?その子が誰かと間違えたとか、または同じゼミの子でふざけてやっただけとか、そういう可能性もなくはないじゃないの」
「う……」
私の言葉に、ぐっ、とつまるひびき。
それはそうよ。全ては断片的な状況証拠にすぎないんだから。
「それにさ、私思うんだけど……別に高志が外で恋人作ったって、あの子たち裏切ることにはならないと思うけど」
「しかし……!」
「まあ、そりゃ好意を無駄にはするから、ってのはあるけど、私が高志に求めているのは『家族』として大切にしてくれるかどうか、ってことなのよ?外で恋人作ったって、そこを守ってくれれば私は一向に構わないのよ」
「………」
「それに、恋愛するのは個人の自由なんだから……。そこまで彼を縛りつけちゃかわいそうでしょ」
私がそう言うと、ひびきは眉間に寄せていたしわをほぐし、
「……まあ、仕掛人のあなたがそう言うんでしたら、私に異存はないですが。口を出せる筋合でもないですし」
思い切り異存がありげな口調で不承不承に納得してみせた。
「とにかく、あまり気にしないことよ。恐らく間違いの可能性の方が高いと思うしね」
「はい……」
「ともかく、苗植えに行きましょうよ。あんまりほっとくと、しおれちゃうし」
「そうですね……」
ひびきの釈然としないような返事が、反古紙が散らばる部屋の中に響いた。






翌日。
「富山駅前、富山駅前です。ご乗車ありがとうございました」
運転士がそう放送を入れるのを背に、富山駅前電停で電車を降りる私の姿があった。
平日の昼間という時間帯ではあるけど、ここはいつもひっきりなしに人や車、乗合自動車が出入りしている。
「6番乗り場の車はー、10時35分発ー、23系統ー、速星・熊野経由ー、八尾鏡町行でございます」
ロータリーの自動車乗り場には、独特の節回しで自動車の到着を告げる女性の声が響いている。
「マリエとやま」を行き過ぎ、その奥を入ると、そこが地鉄のターミナル・電鉄富山駅だ。
普通ならここで切符を買いに行くのが筋なんだろうけど……私の足は、どうもそちらへ向かってくれない。
券売機の前のコンコースで逡巡した後、私はしかたなく右手奥にある待合室の扉をくぐった。
待合室では、改札待ちの人がNHKのニュースをぼんやり眺めたり、カップの珈琲をすすったりしながらのんびりとくつろいでいる。
併設された立ち食いそば屋の前の椅子に座り込んだ私は、
(何やってんだろ、私……)
思わずため息をついた。
――昨日、ひびきの報告を聞いた後から、何度も何度もついたため息なのよねぇ。
私がひびきの「高志の恋人発見」の一報を、確証がないことと、そもそも高志の恋愛にまで口を出す権利はないことを理由に軽くあしらったのは、既に述べた通り。
だけど、その後がどうもいけない。
昼過ぎにひびきが新しく調合した薬を飲み、電車で安野屋へ出て神通川の河川敷の人目につかないところで魔術の練習を始めたんだけど……。
「……何だか、今日はとみに魔法の切れが悪いですね。確実に前回より力は上がっているんですが」
どうにもさっきの話が頭にちらついて練習に集中出来ず、ひびきを困らせてしまった。
結局、調子が悪いのではしかたない、というわけで練習を早めに切り上げ、帰宅することになった。
その後も、チョコに話を振られても反応出来ず、
「……もうっ、魔女、聞いてるー?」
厳しいつっこみをもらってしまったりと、調子が狂っているにもほどがあるありさま。
寝るまでその状態は続き、私自身もほとほとまいってしまったのよねぇ。
「早く寝た方がいいですよ、今日は」
「うん……そうするわ」
精神的に疲労困憊している私の姿を見かねて早寝を勧めるひびきの言葉に従い、早く床に就く。
部屋を2人で共同使用している関係上、お互い就寝時間がばらばらであることが多く、必ずどちらかが螢光燈をつけている状態なんだけど、この日ばかりは2人そろって灯りを消した。
ひびきの寝息が聞こえて来る頃、私は再度彼女の報告した件に対する対応について考え直してみた。
間違ったことを言った気は、自分としては一応ないつもりなのよ、一応ね。
少なくとも「証拠が乏しい」ことに関しては、客観的に見ても妥当でしょ。
ひびきも積極的に肯定はしなかったけど痛いところを衝かれた、という顔をしていたし。
問題は、「高志が外部で彼女を作る」=「あの4人を裏切る」の公式がこれ真なりや、というところかしらねぇ……。
私はひびきに言った通り、あの子たちを「家族」として受け容れて大切にしてくれる、ということを、高志には期待し続けている。
だから外で彼女を作ったって、別にそれを維持してくれれば文句はないはず。ゆえにその公式は真ではない、以上。
「ないはずなんだけどねぇ……」
枕の横に置いてあったおこじょのぬいぐるみの尻尾をふさふさとなでながら、豆電球のともる中で私はぼつり、とつぶやいた。
「何ていうのか、やっぱりこの、ひっかかるのよねぇ」
このことよ。
ひびきが仄めかした通り、あの4人は全員高志に想いを寄せている。
だからこそ、彼女は先の公式を真と考えて私にわざわざ報告してくれたんだろうしねぇ。
私自身はそれを真ではないから別に構うことはない、としてあしらったけど、よくよく考えれば、真ではないとしても4人の想いが反故にされるのは変わりないわけよ。
それが裏切りになるかならないか、ただそれだけの違いで、現象としては厳然と存在するわけじゃない。
……同じ女性として考えた場合、やはりそれは見ていて面白いもんじゃないわ。
それに、何だかんだ言ってもあの子たちは、私が人の姿を与えて琴芝家に送り込んだ存在なの。
それを考えると、外で彼女を作られるというのは、
(据え膳をいくつも用意したのに外食をしに行かれたようなもの……)
じゃないの。
それって、何だか悔しい気がする。恩を着せるわけじゃないけど、せっかくの好意を無駄にしてくれちゃって。
……まあ、さっきも言った通り、あの子たちは「家族」として琴芝家にやって来たわけであって、別に高志と結ばれるために来たわけじゃないから、それはおかしいんだけど。
あー、でもそういう展開を期待してなかったと言ったら嘘なのも確かだし、釈然としないのは変わらないなぁ……。
ぐるぐる回る思考を持て余した私は、さっきのおこじょのぬいぐるみと枕元の特大雷鳥ぬいぐるみとを引き寄せてぎゅっと抱きしめ、
「ねえ、雷鳥君、おこじょ君、私、どうしたらいいしら」
静かに問いかけた。
しかし、雷鳥もおこじょも、無言でつぶらな眸をこちらに向けて来るだけ。
詮ないことと知りながら、私はその眸と向き合っていたけど、
「はあ……とりあえず、明日また考えましょ」
心底疲れ切った声で眼を閉じた。
……その「また考えた」結果が、これだ。
今日は、魔術の練習はない。元々隔日のスケジュールだし、月齢など魔力に干渉する要素も人間界にはいっぱいあるので、月のうち5日間は連続で練習が出来ないのよ。
その連続休みに私がひょいと街に出ることはよくあることなので、ひびきにとがめられることもなく家を出ることが出来た。
目的地は、越中三郷駅……というより、高志の大学。
要するに、ことの真偽を自分のこの眼で確かめようと、そういうわけ。
でも、そう決めた後もまだ私には迷いが随分ある。
自分で「干渉すべきじゃない」というようなことを言っておいて、これでは間接的に干渉することになりかねない。矛盾した行動でしょ、これは……。
そのため、小泉町電停の時点で電車を5本も見逃して、ようやくここまでやって来た挙句、まだ迷ってるって寸法なのよねぇ。
「ご乗車ありがとうございました、電鉄富山、電鉄富山、終点でございます。お忘れ物のないようお降りください。電鉄富山でございます。市内電車、地鉄バス、国鉄線はお乗り換えでございます」
ホームに宇奈月温泉行の普通列車が到着し、甲高い女性の自動放送が響く。
「お待たせいたしました、11時15分発、宇奈月温泉行の改札を開始いたします」
その声に、ぞろぞろと待合室の客が改札口へ歩き始めた。
私はしばらく戸惑っていたけど、意を決して越中三郷まで400円の切符を買うと、そのまま改札をくぐった。
ぽつぽつと埋まったクロス・シートの一角に腰を落ち着けていると、やがて発車ベルが鳴り、列車は駅を滑り出して行く。
自動の車内放送を聞きながら、
「賽は投げられた、か……」
私は、言うともなしにそうつぶやいていた。


「越中三郷、越中三郷でございます。お降りの際は、一番前のドアをご利用ください」
住宅地を抜けて田園風景をひた走り、常願寺川を一気に越えた列車は、そんな放送とともに越中三郷駅へ到着した。
この間、10分ほど。ダイヤさえうまくかみ合えば早い、という高志の言葉も納得出来るわね。
私は放送の通り、降車客の列に並んで前の車輛へ移動した。
……列車といえば、初めて乗った時に子供みたいにはしゃいじゃって、一緒に乗ってた高志がどん引きしてたわねぇ。
まあ、今じゃもう慣れちゃったから、ああいうことはないけど。
交換の上り列車が行ってしまうと、駅は静寂に包まれた。
越中三郷駅は、住宅地からちょっと離れたところにあるとっても古い駅だった。
へろへろの鉄線を使った柵で囲まれた、白線も定かじゃないほどくたぶれたホーム。
そしてサッシュになって外壁はトタンで覆われているものの、いつ建てられたんだろう、と一瞬思ってしまう瓦葺きの駅舎。
無人の改札口を通り抜けて駅前へ出てみると、軒下には「富山電鐵」「三郷驛」と旧字体で右から駅名が書かれている。
戦前よねぇ、どう見ても。つか、「電鐵」って何?
……後で調べてみたら、地鉄の前身が「富山電気鉄道」で昭和6年の開通らしいけど。ってことは、この駅舎70年もの?
すごい駅から大学通ってるのねぇ、あの子。
「とと……ぼんやり駅なんか見てる暇なかったわね」
そう言うと私は身を翻し、駅前にあった「呉東大学三郷キャンパス」の看板に従って、なるべく目立たないように歩き始める。
ま、列車内で変装したからばれることはそうないと思うけど、念のため。
ちなみに言っておくけど、変装たって高志と初めて会った時の森林迷彩じゃないわよ。
普段着ている服を地味なポロシャツとスカートに替えて出て来て、列車の中で頭を片寄せた三つ編みにしたの。
……10分で完璧に結うのは大変だったけど、ここまでしないとばれてしまうし。
そして女物の帽子を目深にかぶり、伊達眼鏡。サングラスは、大学生という設定じゃさすがに怪しすぎるんでよしたわ。
魔力がもう少しあれば、髪や眸の色を変えることが出来るからいいんだけどなぁ。
それはともかく……。
沿道に並ぶ看板をたどって行くと、やがて木立の中に大きな病院と、その横に立ち並ぶいくつもの大きな建物が見えて来た。
学生たちが行き交う中、入口そばの構内案内図で農学部を探す。
うーん、やっぱり農場や牧場を抱えてるだけあって、構内複雑ねぇ。
「すみません、いつも農学部の学生さんが講義受けてる場所ってどこですか」
入口の守衛さんにそう訊いてみると、
「うーん、授業にもよりますがね。多くの授業は、この右奥の51号館だったと思いますが」
首をひねりながらも大体の場所を教えてくれた。
「誰かお待ちになるんでしたら、51号館とその西の52号館の真ん中にいれば確実じゃないですかね」
その言葉に従って、指定された番号の講義棟を案内図でもう一回探す。
「えーと、51号館、51号館……って、そこに見えてる建物ね」
「51」という数字に「農学部講義棟」とだけ書かれた建物を確認した私は、とりあえずそっち方面へ移動することにした。
あとは適当にぶらぶらして、高志を見つけるだけ。どこの教室で授業をしているのか、いつ終わるのかも分からないし。
……チャイムでも鳴ってくれれば分かりやすいんだけど、大学にはそんなのないしねぇ。
そんなことを考えながら、ぼんやりと講義棟の前に立って遠くの温室を眺めていた時。
わらわらと、後ろから学生たちが歩いて来る気配がした。
振り返ると、果たして学生の集団が講義棟の出口を出て来るところだった。
どうやら、授業が早く終わったみたいねぇ。この集団の中に高志がいれば、話は早いんだけどな……。
講義棟の出入口の横の柱のそばに立って、私は何気なく学生たちの中から高志を探し始めたんだけど、
「あちゃー、こりゃすごいわぁ。百人以上は確実にいるわよ」
すぐにあまりの学生の多さにげんなりし始めた。
一般教養、いわゆる「般教」の授業は必修科目であることもあって、こうやって一気に大量の生徒を講義すると、高志が言ってたわね。
講義棟の広い入り口から出て来る学生は、二重三重に重なって、奥の方なんかようやく顔が確認出来る程度。
眼を皿のようにして、必死で高志の姿を探す。
と、その瞬間。
(……いた!)
真ん中の扉の学生の波が一旦途切れたところで、ようやく高志が出て来た。
雄太くんは一緒じゃないみたい……って、あの子は医学部だから当たり前か。
そんなことを考えていた私の視界に、
「高志さーん!」
黄色い声とともに、いきなり予想だにしないものが飛び込んで来た。
(………!?)
それは確かに、高志と同学年くらいの女学生だった。
琴芝家の人間でたとえれば、チョコが成人してリボンを外し、ボブ・カットにしたような感じと言うべきかしら。
……明るさはどうやら、チョコ以上みたいだけど。何だかあまりの極端な感情表現に、周りの学生が驚いてる。
「な、何かしら……友達?」
私が思わずそうひとりごちるうちに、その娘は、
「もう、呼んでも返事しないんだから!一緒に、お昼食べましょ」
そう言うなり、高志の腕にからみついて来た。
「は、葉山さん……そ、それは構わないけど、ちょっとここでそれは……」
「嫌よ、高志さんと私の仲じゃない」
そんなやり取りをするその子――葉山さんと、高志はまさに恋人そのもの。
その姿に私は、
「あ、あはは……た、高志もすみにおけないわね……」
そうつぶやいて必死に冷静になろうとするけど、やはり衝撃は隠せない。
そうしているうちに2人が歩き出すのに、私も学生の中にまぎれて動き出す。
どうやら、行き先は講義棟にほど近い食堂のようだ。「農学部学生食堂」「無農薬野菜使用」といった看板や張り紙が入口に躍っている。
その食堂で、2人は真ん中あたりのテーブルに席を取った。
私は気づかれないよう、葉山さんから見て斜め後ろの席に陣取る。
(……いちゃいちゃしてるわねぇ)
この席取りの間にも、2人は妙にいちゃついている。
その姿にいつの間にかいらついている自分に気づき、
(ちょ、ちょっと待ちなさいよ……何で私がいらつかなきゃいけないのよ)
大あわてて水をあおると、気持ちを落ち着けるためにゆっくりと腹式呼吸する。
……そもそも「高志が外で彼女作ったって自由」みたいなことを言ったのは、どこの誰よ。
それが実際にその現場を目撃して動揺の挙句にいらついてたら、世話ないじゃないの。
そう思うと、少しは落ち着くことが出来た。
「18番でお待ちの方ー」
あ、私の番号が呼ばれた。
席を外し、高志の横を通る羽目になったけど、高志は私だと気づいていないみたい。
……苦労して変装した甲斐があったかしらねぇ。
そして、頼んであった月見うどんをお盆に載せて、自分の席へ戻って来た時。
「それにしても、高志さん素敵よ。頼りになるもの」
葉山さんが甘えた声で高志に語りかけるのが聞こえて来た。
動揺しながらもまだ冷静な顔を保ったまま、私は席について伏し目がちに2人の会話に耳をそばだてた。
「いや、それほどじゃないって……」
「謙遜しなくてもいいの。私が困っていたのに、相談に乗ってくれたでしょ」
「ま、まあね」
「あんな深刻な話を、相手にしないなんてみんなどうかしてるわ。その点、高志さんは素晴らしい人よ」
うーん、空気がいやに甘ったるい……。
好きだの何だの、直接的な言葉は一切ないんだけど、あの葉山さんって娘から発生してる空気が明らかに高志への好意に満ちている。
漫画的な表現をすれば、ハートが放射されている状態ってところかしら。
一方で高志は、さっきからあいまいな返事を続けている。
純粋に葉山さんの愛情表現に戸惑っている……のかしら。見ようによっては、彼女を持て余す彼氏にも見えるけど。
いわゆる「バカップル」状態で会話を続ける2人をBGMに、私はひたすらうどんをすする。
ああ、もう……またいらついて来た。
というより、私一体何やってるんだろ。
自分で言ったことに矛盾する行動取って、わざわざ変装して富山の東隅三界まで来て、バカップルの見物しながらうどんすすってるなんて。
何なのよ、このありさまは……。
さっき思い直したばかりなのに、既に落ち着きをなくした私の心は、果てしなくいらつき始めた。
その時だった。
「高志さん……私、好きよ、あなたのこと」
葉山さんが、唐突に爆弾を炸裂させた。
(こ、これって……告白というよりも……)
突然の発言にむせながら、私は彼女の言葉を分析する。
字面だけなら告白だけど、言い方が全然違う。
この言い方は、既に恋人同士の男女が改めて愛を確認し合うために言う言い方だ。
(き、決まり!?決まりなのっ……!?)
私が硬直したまま聞いていると、高志は、
「あー、いや、そのね、こういう公共の場でそういうことは……」
遠慮がちに明言を避けた。
高志のあの性格だもの、周りを気にしてこう答えてもおかしくない。
ところが葉山さんは、
「ううん、分かってるの。言わなくても、ね」
そう言って高志を押し切り、
「ねえ……お願い、キスしてくれないかなぁ」
さらに大胆なことを要求して来た。
この言葉に、ついに私の中で何かが切れた。
私はむせそうになるのも構わず、一気にうどんをかき込むと、下膳も忘れて食堂を飛び出した。
(もう嫌!とっとと帰っちゃいたい……っ!!)
その一心で、途中迷いながら正門を飛び出し、そのまま一気に駅まで戻って来た。
列車の中で急いで巻いた三つ編みはほどけ、せっかくの長い髪が崩れてひどいことになっていたけど、そんなこと気にしている余裕は一切なかった。
「何なのよ!何なのよ!一体何なのよーっ!!」
駅前を歩く人が奇異の視線を向けるのも構わず、衝動に衝き動かされるまま私は怒鳴った。
理屈で考えれば、ここは怒るところじゃない。何度も言うようだけど、自分で「自由」と言っておきながらなぜ怒るのよ。
だけど、そんな理屈はもはや今の私には何の効果もない。
さらに、この怒りがどこから来ているのかはっきりしないことも、余計に私の神経をいら立たせた。
構内踏切の警報機が鳴り、上り列車がやって来るのも構わず、私は、
「本当に、何やってるんだろう、私……」
ぜえぜえと息を弾ませながら自嘲するようにつぶやいていた。







その次の日の夕方。
越中三郷の駅前に、いつもの格好で仁王立ちになる私の姿があった。
恐らく今の私を他人が見たら、あまりの剣呑な形相にびっくりするか、そそくさと立ち去るかするだろう。
実際、ひびきが私の余りにすごい顔に、声にならない叫び声を上げていたくらいだもの。
こんなところに再び私が来た理由は、ただ一つ。あの「葉山さん」という女性との間柄を、高志へ直に問い詰めるためだ。
昨日あれから逃げるようにして戻った私の許に、高志はけろりとして戻って来た。
それが妙に憎らしくなり、晩ごはんの時に問い詰めてやろうかとも思ったけど、あの4人がいる前じゃ話がややこしくなるのでやめた。
その代わり、今度は出先でみっちりと話を聞かせてもらうつもりでいたわけだ。
ひびきが小見教授に会いにまた今日大学行くとか言ってたから、鉢合わせの可能性もあるけど、そこまで考えていない。
昨日までは「恋愛するのは自由だと言っときながら気にして追いかけ回すのはおかしい」だのと理屈をこねて悩んでいたけれど、もうこの際そんなもんどうだって構わない。
ともかく、私たちに隠れてこそこそ恋愛していること自体が既に問題、何で何もこちらに話を投げないのかという時点で問い詰めるに値する。
高志に何でそこまで知らせる義務があるのかと言われればそうだけど、知るもんか。
とにかくもう、話を聞かなけりゃ気が済みゃしないわ、ええそうですとも!
……昨日あんだけ迷っていたのが今日は一転、とにかくむしゃくしゃする気持ちを持て余し、理屈も何もなくすっ飛んで来た私は、その場で高志を待ち伏せすることにした。
その時、駅前に白の車が停まり、中からひょい、と初老の医者とおぼしき男性が顔を出した。
どうせ医学部の先生だろう、と気にも留めないでいたけど、のちのちこの人がこれから起きることに大きく関わって来るとは思いもしなかった。
さて……。
ほどなくして、葉山さんと高志の2人が、駅前広場のとば口に現れた。
……またしてもいちゃいちゃ。人の気も知らないでいいご身分ね。
が、その時意外な人物が高志の後ろから現れた。
「君が葉山さんか。高志から話は聞いてる……」
そう言った瞬間だった。
「高志さん……あなた!こいつは誰!?……もしかして!」
いきなり葉山さんが激昂し始める。
な、何!?何なの、友達が出て来ただけなのにこの異様な剣幕!?
私が眼を白黒させていると、やがてとんでもない言葉が飛び出した。
「あなた、あいつらのスパイね!……高志さん、信じていたのに!!まさか敵と通じていたなんて!!」
ス、「スパイ」!?何のことよ!?何を言ってるの、この子は!
「違うっての……!とにかく落ち着いて!!」
「嘘!!じゃ、何でこんなあいつらの仲間を連れて来るのよ!!」
そう言って、びしっと雄太くんを指差す葉山さん。
「あいつら」?一体何の話なのよ?
突然の意味不明な事態に、さっきの怒りはどこへやら、呆然として事態を見守っていた私の横で、さっきのお医者さんが動いた。
「まいったな、かなり昂奮している。……おい、母さん、こりゃ覚悟しないとな」
「分かってるわ、どのみちこうなるだろうとは思ってたから」
そう言うと、助手席から今度は同じく白衣の女医さんが登場した。
な、何なの?何なの、この展開は?
そう言っている間にも、3人は葉山さんを真ん中にはさむような形でこちらへ接近して来た。
「いやーっ!!教団に洗脳されるーっ!!」
うわ、耳をつんざくかと思うようなすっごい金切り声。普通の女性じゃまず出さない声よ、こんなの。声色も変だし。
その時、隣に立っていたお医者さんが、
「雄太、高志君!こっちへ!」
高志と雄太くんに手を振って呼びかけた。
「親父におふくろ!」
「大丈夫か、ここまで持ちこたえられそうか!?」
「2人がかりだから何とか持って行きます!!」
お、「親父」「おふくろ」!?……ってことは、この人たち、雄太くんのご両親?
た、確か雄太くんの家って……。
そんなことを考えているうちに、葉山さんの抵抗が激しくなって来た。
「このっ、消えろーっ!!教団の手先め!!」
うわっ……雄太くん、思いっ切り顔をひっかかれた。
「雄太、そこまででいい!!そこで私たちが受け入れるから!!」
そう言うと、雄太くんのご両親は3人の方へすっ飛んで行った。
「いやあああっ!!黒ミサに使われるーっ!!」
「そんなことはしません!ただ診察をするだけですから!」
「嘘!嘘!嘘!!」
首をぶんぶんと振って否定する彼女をなだめようと、雄太くんのご両親は必死だったけど、彼女は暴れて止まらない。
「しょうがない……高志!2人で拘束するぞ!!」
「合点承知!!」
そう言うと、雄太くんと高志は葉山さんの肩をかつぐように拘束した。
「ついに本性を現したのね!?この裏切り者ー!!」
葉山さんが叫ぶのを意に介さず、雄太くんのお父さんは、
「葉山ちはやさん。今のあなたは、他人及び自分に害を及ぼす危険があるため、患者として奈川病院精神科で指定医である私こと奈川雄三郎と奈川瑛子の診察を受けていただきます。このことについては、ご両親も諒解済みです」
厳然とした声で、簡潔に宣告した。
そして、雄三郎さんが雄太くんと高志に葉山さんを拘束したままゆっくり進むよう指示し、車のそばまで来た時。
「このっ、教団の犬めー!!」
葉山さんが自由な足で最後の抵抗とばかりに瑛子さんを蹴りつけようとした。
次の瞬間、私は、
「危ない!!」
無意識のうちに駆け出して彼女の蹴りを受け止め、足を思いっ切りひっつかんだ。
「お、おねーさん!?」
高志が驚くのをよそに、私は葉山さんがバランスを崩して攻撃不能になったのを確認し、つかんだ足を雄三郎さんに渡した。
「大丈夫ですか!?」
「いえ、何てことはありません。うまく捕まえられたので」
「そうですか、ならよろしいのですが……とにかく、助かりました」
そう言って丁重に頭を下げると、雄三郎さんは足を押さえつけたまま、一気に葉山さんを後部座席へ押し込んだ。
「両側、母さんと雄太ついてくれ!!暴れないようにシートベルトつけてあげて!!」
「僕はどうしましょうか?」
「高志君はいい。これ以上、この件に関わることはないさ」
先に後部座席を片方だけ閉め、暴れようとする葉山さんを押さえつけてシートベルトをつけさせようと悪戦苦闘すること10分、ようやく雄三郎さんが運転席に乗った。
「それでは、お願いします!」
そう言う高志を、
「くそっ、裏切り者ーっ!!」
葉山さんが狂犬のようなものすごい眼でぎょろり、と睨めつけるのが分かった。
それをよそに雄太くんが窓を閉めると、車は駅前広場から出て行く。
この間、20分ほど。野次馬もばらばらと散って行き、最終的にはいつも通り静かな越中三郷駅と、疲労困憊してよたつく高志、そして事態を理解しかねて立ち尽くしている私だけが残った。
「ああ、何とか無事に済んでよかった……って、そもそも何でおねーさんがここにいるのさ」
「いや、その話は高志の話を聞きながらの方がいい気もするけれど」
「とりあえず……あと5分で列車来るから、乗る?」
「そうね……」


「ええっ……何よ、それ」
常願寺川を渡る列車の中で、高志と向かい合わせに座っていた私は、思わずあきれたように声を上げた。
「まあ、驚くのもしかたないよね。いきなり『集団ストーカー』の自称被害者だった、だなんて言われても」
「というより『集団ストーカー』って……」
私がそう言うと、高志ははあ、と深いため息をついて、
「簡単に言うと、自分が何か大きな組織や権力、とにかく個人では手に余るような規模の存在につけねらわれている、っていう妄想だよ。雄太の話だとね」
「も、妄想って……」
「この場合の『妄想』は『不合理であり訂正不可能な思い込み』のことで、精神医学の用語だよ。要するに、どんなに荒唐無稽だろうとどんなにそうなる理由がなかろうと関係なく、際限なくそうだと思い込んじゃって止まらなくなってる上、誰かが間違っていると言っても一切耳を傾けないような状態なわけ。妄想の種類によるけど、大抵は敵と見なした他人に対し異様に攻撃的になったりして、社会的に逸脱を起こすんだよね」
まあそうなる寸前の例を今まさに見て来てしまったわけだけど、と高志は肩をすくめて言う。
「で、あの葉山さん……だっけ、あの娘がそれだった、っての?」
「そうなんだ。彼女の場合はね、カルト宗教だった」
「カルト宗教!?……ちょっと待ってよ、たとえ自称でもそういうのに追いかけられてるとか言ってる人と、どうしてまた関わり合いになっちゃったのよ。もし本当だったら、キミだって危ないじゃないの」
私が思わず眉をしかめてそう言うと、高志は額に手をやり、
「それがさぁ、最初はそういう話じゃなかったんだよ。『日読新聞の拡張団がうるさくて困っている』って話で」
困ったような顔でそう言い出した。
「へ……?そりゃ、日読新聞の拡張団ってしつっこいことで全国的に有名だけど」
「そうそう、そうなんだよね。それにころりとやられちゃったんだよ。きっとひとり暮らしで張りつかれて困ってるんだろう、うちでうまいこと撃退してるからやり方を教えてあげよう、くらいの気持ちで話聞いちゃって」
それがいけなかった。それ以降、何かというと彼女は高志を頼るようになった。
高志も人がいいから、よっぽど困っているのだろうとしか思わず、根気よくつき合ってあげたのだとか。
「そのうちに、話がどうもおかしくなり始めたんだ。何でも日読新聞はカルト宗教と関係があるとか、拡張団は新聞を取らせる目的でいるんじゃなくて布教のためにいるんだ、しかも近所の人もそれにぐるだ、とか言い出してね。しまいには、『拡張団の協力者は日本のありとあらゆるところにいて全員カルト宗教の信者』『私は常にカルト宗教の手先やスパイに監視されている』とどんどん話がエスカレートして……」
日読新聞は全国紙としては確かに社長の評判はよくないし、拡張団のやり方もえげつないけれど、少なくとも「宗教」と名のつくものには全然関係のない会社だ。
これはおかしいと思った高志は、医学部と合同になる一般教養の授業で雄太くんに話をしてみた。すると、
「あー、見てみないと分からないけど、有り得るとすれば『集団ストーカー妄想』ってやつだなぁ、恐らく。もしそうなら立派な病気だよ……今、ネット上で病識(自分が病気だという自覚)がないままにそういう情報を垂れ流している患者がいっぱいいて、神経症でそういう不安を抱えている人が感化されて最悪の場合統合失調症に発展したりする悪循環が発生してるんだわ」
まいったようにそう言い、ちょっと親に話をしていっぺんどんな感じかこっそり診てもらって、緊急の入院が必要な場合対処出来るようにしてみる、と言い出した。
その頃から、たがが外れたように葉山さんの行動は過激さを増して行った。
「何をするでも『高志さん、高志さん』。一般教養の授業でよく会うもんだから余計でね。しまいには、愛情表現にまで発展しちゃって……名前を呼びながら飛びついたり、衆人環視の中で接吻を要求したり、いわゆる『バカップル』みたいな極端な表現するから、ほとほとまいっちゃって。事情を知らないやつには冷やかされるしさ」
いや冷やかすくらいだったら、この人持ってってくれないか、って気分だった、と高志はげんなりとした顔で語る。
高志がそうしている間に、雄太くんから話を聞いたご両親は、実態を確かめたいと一度教員の振りをして農学部の食堂に入り、葉山さんと高志の会話を一通り聞いた。
その結果、ささいな家の軋みの音や同じ車が似た時間によく家の前を通るという程度の、ごく当たり前の日常のできごとを「カルト宗教が私を狙っている」という話に飛躍させ、さらに高志以外の人間を全て「教団のスパイ」「教団の手先」と根拠なく見なしていることが分かり、
「強い被害妄想・注察妄想及び関係妄想の持ち主であり、最悪の場合統合失調症の疑いがある」
との見方をし、診察の必要性を認めたらしい。
このため唯一の家族であるご両親に医療機関の受診を勧めるよう要請が行ったんだけど、当の本人は、
「『病院なんか行ったら精神病にされる』とはねつけて、『私を陰謀にはめたいならもっとうまくやることね』と啖呵を切ってやったわ」
と誇らしげに語る始末で、大失敗に終わった。
「親御さんでそんなんだから、僕なんか絶対駄目なの見えてるし、何やられるか分からない。それは、さっきのあれ見ても分かるでしょ。あのままじゃ、互いにけがしたり何だりしちゃうよ。まあ騒がなかったにしても、本人は診察なんて絶対に受ける気はないだろうね。うすうす分かっていたけれど……」
「病院行ったら精神病……って、いつの時代の偏見よ、それ。まあでも、それじゃあ無理よねぇ」
「でもやるしかない。眼の前に病人いるんだし、何よりこのままにしとくと彼女が人生棒に振っちゃう。というわけで雄太のご両親にお任せして、本人の同意をすっ飛ばして診察出来るようにしてもらったんだよ。個人でやるには手続が大変らしいから、餅は餅屋と」
高志曰く、ああいう風にすんなり診察体制に持って行けるならいい方で、あまり暴れる場合はお巡りさんに取り押さえてもらった上保護してもらい診察へ、なんて例もあるとか。
「しゃれになってないわね、いろいろと……」
「まあ、とりあえず信頼のおける医療機関には入ってもらったし。仮に重い方の統合失調症でも、治せないことはないらしいから……あとは、うまく治ってくれることを願うのみだね」
そう言ってふう、と再び躰の力を抜く高志。
「そんな大変なことになってるなら、私たちに何か言うか相談するかしてくれてもよかったのに……」
「無理だよ……ことがことじゃないか、どうやって相談したらいいのさ」
「うッ……」
それもそうだ。みんなは精神科医でも、その関係者でもないんだから。
それにしても……こんなおちが待っているとは。
これじゃまるっきり、全て私のひとり相撲じゃないの。
一昨日からこっち3日間、高志が外で彼女作るのがいいか否かとか理屈をこね回したり、何か知らないけどいらついたり、理屈無用と開き直って問い詰めようとしたりした自分が馬鹿みたい。
まあ、こんな反則と言うべき事情があったなんて夢にも思わないんだから、しょうがないけどねぇ……。
そんなことを思って私が自己嫌悪になっているのも知らず、高志は、
「で、おねーさんは何であそこにいたの?」
無情にもそこに話を向けて来た。
うっ……今一番訊かれたくないことを。でも、説明しないと駄目よねぇ。
しかたなく、私は一昨日からのことを全て高志に話した。
「じゃあ何、おねーさん……そのひびきさんの情報が気になって、わざわざ大学まで来たわけ?」
半ばあきれたように言う高志。
「……まあ、そういうこと」
「今回の背景全然知らないのに、何でまたそこまでして……子煩悩が過ぎて、娘が恋するの嫌だからと追いかけ回す、どっかの漫画の父親でもあるまいし」
「しょ、しょうがないでしょ!気になっちゃったもんは気になっちゃったんだし、キミがどうしてるのかも気がかりだったし」
何だか分からないけど微妙に痛いところを衝かれたようで、私は変におたおたと周章狼狽しながら答える。
「……というより、もしかしてとは思うけどさ」
「な、何よ?」
なおもおたついている私に、高志は少し薄笑いを浮かべると、
「……嫉妬、じゃないのかなぁ、それさ」
そんなことを言い出した。
「し、しっ……そ、そんなわけないじゃないのよ!」
「わわわ、ごめんごめん、ちょっと言ってみたかっただけだってば。嫉妬されるほどの男だなんて、うぬぼれる趣味は僕にはないし、実際そんなごたいそうな男じゃないし。……だからそんなぽかぽかたたかないでってばさ、痛いから。ほら、もう富山に着くから、とりあえず落ち着いてよ……」


「ふう……何か、どっと疲れたわ」
家に戻ると、私はお茶を一杯入れて自室の床に座り込んだ。
まあそりゃ、あんな展開になれば精神的に疲れない方がどうかしてると思うわよ。
低い硝子のテーブルに湯呑みを置き、窓際に立って障子を開けて硝子窓越しに外を眺める。
私たちの部屋は、琴芝家の裏側に窓を持つ部屋で唯一、裏の家とかち合っていない。
かき曇って来た空を見ながら、私はさっき高志に言われたことに思いを馳せていた。
「嫉妬、ねぇ……」
正直、今回の行動はそう見えてもおかしくない気がする。
高志は私と自分とじゃつり合わないとでも思ってるから有り得ない、と否定したんでしょうけど、年齢的に見て一応外見上はつり合っているのよねぇ。
それに、高志のことは好きではあるし。
まあ、その「好き」が、どういう意味かは微妙ではあるけどねぇ……。
何せ時々、惣吉さんとあの子がかぶることがあるくらいだもの。
もう100年も前のことなのに、今でも思い出す辺り、私も心底惚れてたんだなって気がする。
そう考えると、やはり「好き」の意味合いは時にそっち寄りになってることもあるんでしょうねぇ。
「果たして嫉妬だったのかしら……」
私は額をぽりぽりとかくと、再び自問した。
答えられる材料は、今のところない。
というより、あるんだかないんだか、自分でもよく分かっていない。
と、その時。
「ただいま戻りました」
襖をたたく音がして、ひびきが戻って来た。
「ああ、おかえりなさい」
「……どうしました?何だか、ひどく疲れた顔をしてますが」
「いや、何でもないわよ。……で、小見さんの方はどうだったの?」
「専用の肥料をいただけましたので、今、菜園に埋めて来ました。……それで、魔女」
「ん、どしたの?」
「例の高志さまの恋人の件なんですが……とんでもない結末になりまして」
私はその言葉を聞くと、テーブルの前に腰を下ろし、
「へえ、どうなったの?……とりあえず、ここ座って話してごらんなさいな」
ゆっくりと冷めかけたお茶を飲みながら、ひびきの話を聞き始めた。
外では、春雨がしとしとと降り始めている。

<つづく>
(平21・7・18)
[平21・7・22/補訂]
[平30・6・23/再訂]

[あとがき]
 どうもこんにちは、作者の苫澤正樹です。
 「とやまはっぴ〜だいあり〜」第5話「地鉄・越中三郷駅」、いかがだったでしょうか。
 今回は、当シリーズでは第2話「涼州詞」に似た感じの、短めの作品となりました。最初の計画ではなかったものだったのですが、予定を勘定してみておねーさんメインの話がないことに気づき、挿入の形で作ったものです。極度にシリアスでもなく、いつものような趣味に走った描写もないという、当シリーズでは比較的珍しい部類に入る話ということになりましょうか。
 今回の話で高志が被害に遭った「集団ストーカー妄想」は、本当に存在しています。ためしに「集団ストーカー」や「ガスライティング」(「精神病だと相手に思い込ませる」ことを指す言葉)で検索してみてください。びっくりするような内容のページが大量に出て来ます。揶揄の意図ではなく、本心から「それやばいですから早く病院に行ってください」と言いたくなるほどのものです。特に私などは自身が躁鬱病で、多少なりとも精神医学の知識があるだけに余計です。
 しかし、だからといって精神医学がからむ筋が真っ先に思いつく私って一体……。趣味というわけではないと思うのですが、他の趣味に走った話と同じく、やはり興味のある分野が素直に作劇の際にも出てしまうわけなのでしょうか。何だか申しわけありません。
 ところで、今回一番困ったのが地の文でした。ご覧の通り、当シリーズはいわゆる「一人称作品」で、基本は高志の一人称、話の都合で高志が最初から登場しない場合はその話でメインになる人物の一人称で書いています(一部例外はありますが)。今回の場合は当然おねーさんの一人称というわけなのですが……これが意外と難しかったのですよ(汗)。ご存知の通り、おねーさんは『はっぴ〜ぶり〜でぃんぐ』の登場人物の中では一番言葉づかい がくだけています。そのせいで、私の地の文の文体の芯の堅さと衝突してしまい、最初は高志あたりとほとんど変わらない地の文になってしまって……。さすがにまずかろうと、あとから随分いじりましたが。一応その後は多少慣れて最後まで行けましたので、大丈夫だとは思うんですが……おねーさんらしく見えなかったらすみません(汗々)。
 ちなみにおねーさんの変装ですが、具体的なモデルがいます。髪型で分かったかも知れませんが、一秒で何でも「了承」し、謎のぢゃむを作ることで美少女ゲーム界を震撼(?)させたあのご婦人です(爆)。髪の色が似てたことから持って来ただけと言えば、それまでなんですけどね。
 それでは、また6話目でお会いいたしましょう。

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