その他外観の様式


・車体標記

 最後に、車体の各部に見られるさまざまな標記(「表記」ではない)について見ておきましょう。
 まず、側面で一番目立つのは形式標記とJRマークでしょう。

車体標記[1](形式標記)
上野 2000.11.23

車体標記[2](JRマーク)
上野 2000.11.23

 形式標記は国鉄型らしくいわゆる「国鉄書体」によるもので、側面のほぼ中央、裾の部分に白抜きで書かれています。
 また、JRマークは側面の後ろ寄り、形式標記に合わせて白抜きで大きく書かれています。ちなみに、JR東日本は東海や九州などと違ってコーポレートカラー(東日本では緑)をJRマークに使うことは全くなく、新型車両のほとんどのマークも黒色の地味なものです。

 側面で目立つのはこれくらいのものですが、車体の裾に目を移すと今度は所属標記が目につきます。

車体標記[3](所属標記・小山区)
上野 2000.11.23

車体標記[4](所属標記・新前橋区)
上野 2000.12.1

 この所属標記はご覧の通り漢字1文字+片仮名2文字から成り立っていますが、当然ながら意味があります。
 まず、頭の漢字は支社名を示しており、「東」は東京支社、「高」は高崎支社のことです。東京支社は小山電車区・松戸電車区・浦和電車区・川越電車区・尾久客車区・宇都宮運転所・田町電車区・山手電車区を、高崎支社は新前橋電車区・高崎運転所を所轄する支社で、小山電車区・新前橋電車区の上部組織にあたります。
 次の片仮名は所属する電車区を示すもので、所定の電報略号(電略)によっています。ここの場合は「ヤマ」が小山電車区(「オヤマ」の「ヤ」「マ」)、「シマ」が新前橋電車区(「シンマエバシ」の「シ」「マ」)となります。電略は以前は通信で用いられていた略号のため、必ず2文字と決められています。そんなところから、所属標記にも都合がよかったと思われます。

 なお、国鉄時代は支社にあたる鉄道管理局名を用いていたため、場所によっては現在とは違った標記のところもありました。小山電車区もその1つで、国鉄時代は東京北鉄道管理局の管理下にあったため「北ヤマ」を名乗っていました。
 この他、国鉄初期には鉄道管理局の所轄する地域が変わることで所属標記が改まることもしばしばで、小山電車区も開設当初は高崎鉄道管理局の所轄であったものが東京北鉄道管理局に移り、そのために「高ヤマ」から「北ヤマ」へと標記を変更しています。

 また、側面を離れて妻面に回ると、1位側と4位側に次のような標記があるのが見られます。

車体標記[5](車端部標記)
上野 2000.12.1

 いろいろ書いてありますが、要するに側面標記だけでは漏れた詳細なデータについて書いてあるものです。上2つの「形式」と「自重」については説明の必要はないでしょうが、下の「換算」と枠囲みについては少々説明が必要でしょう。
 まず、「換算」とは「換算両数」と呼ばれ、車輌の重量を1両=10トンとして両数に見立てた一種の指標です。主に客車列車や貨物列車など機関車の牽引になる列車において、機関車の牽引能力を超えないように両数を調整する時に用います。
 重量については既に「自重」で明らかではないか、と言われるかも知れませんが、この数字は必ずしも実用に適しているとは言えません。この数字は当然ながら実重量なので、どの車輌でも一緒というわけには行きません。つまり、先ほどのような場合においていちいち「自重」の数字を調べて足さなければいけないのです。また、「自重」は飽くまで何も乗せていない状態でのものなので、旅客や貨物が乗ったときにはいちいち量って足す羽目になり、煩雑さは計り知れないものになります。
 そこで考え出されたのがこの「換算両数」で、何も乗っていない時と乗っているときの場合に分けて「空車」「積車」の2種類を算出します。旅客車の場合、「空車」は自重に1トンを加えて10で割ったもの、「積車」は自重に20人を1トンとして算出したトン数を加え、さらに1トンを加えて10で割ったものを使うことになっています(なお、端数については小数点1桁までとし、旅客車の場合はさらに二捨三入にします)。
 次の枠で囲まれた文字は、「検査周期標記」と呼ばれるものです。これは定期の車検を行った期日と場所を書いてあるもので、これを目安にして次の車検の期日を決めます。上の場合、平成12年5月に大宮工場で車検を行った旨が書かれており、このことから次の車検が平成16年ころ行われることが分かります。
 なお、奥の方に書いてある四角囲みの「保」は「車体保全工事」対象車を示す記号で、これによって対象車か否かを知ることが出来ます。

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